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平安大将棋の起源(長さん)

平安大将棋の13という升目が、12に玉将列の1
列を増やした13×13升目であり、それが左右を
対称にした古代官職や官位を象っているとの指摘は
割りに良く聞く。いわゆる「官位12階」により、
大将棋が13升目になるという考えである。しかし、
12階の官位が、その最初の制度で有名であったと
しても、時代により数が変遷しており、n+1で、
n=12の将棋を作成しようという、スタートの
動機付けとしては、何か弱いものを私は感じる。
そもそも9+4m(mは0,1,2・・)という
升目数には、桂馬が端から3列目で、互いにぶつか
りやすいという点で、特に目立った利点がある升目
とも私には考えられず、この升目数をピンポイント
で狙って、大将棋がデザインされたとは、私には、
ちょっと思えない。
 よって平安大将棋は西暦1100年時点で、最初
にできた駒数多数将棋では、ひょっとして無かった
のかもしれないと私は思う。
前回に述べたように、成り金の作り方のタッチから、
仮に藤原氏の誰かが、”最初の大将棋”のデザイ
ナーでは無いとすると、他に複雑系の将棋をデザイ
ンできるような知識人として、安部晴明タイプの、
陰陽五行、宇宙天文哲学に通じた知識人が、
考えられると思う。そのような人間は、暦学にも通
じておりゲームの盤を、暦にちなむように、19×
19の計361升目にする等、陰陽道流の、実際に
プレーされた13升目型よりも、更に複雑な将棋を
最初から考えていた可能性が強いように思う。
 19升目型の将棋は、そもそも中国では19路の
広将棋が、前のところで述べように、その少し前に
作成されていたから、駒数98枚の広将棋に習って、
駒数100枚前後の、日本制の19×19升目
将棋を、頭の中で思い浮かべる事位までは、こうし
た知識人には、余り難しくなくできたはずである。
 むしろ文書でゲームの内容を書く方が、めんどう
だっただろうから、将棋ゲームの好きな知識人同士
で、互いに会話しながら、実際に将棋盤を作って
ゲームできる程度に、駒数と升目数を減らして、
ついには現在の平安大将棋を作ってしまう事位は、
彼らの能力なら、なんとかできたのではないか。
 むろん計361升目が暦の一年に近いという縁起
から、19升目将棋を推薦したいという気持ちが、
オリジナルの、占い専門のデザイナーには、会話の
後も残っていたのかもしれないが、「日本で最初に
できた官位にもちなむ」という、後付程度の理由で
13升目型が、藤原一族等のユーザーには賞賛されて、
13升目制の平安大将棋が、成立するという論も、
余り無茶ではないと私は思う。
 盤升目数が天文暦法、宇宙哲学陰陽五行道にちな
むように、19升目×19升目制の将棋を、更に
それを圧縮すると13升目制の現平安大将棋になる
ように、例として考えてみると、たとえば次の感じ
だろうか。
 そもそも19升目制将棋として、摩訶大大将棋を
知っている我々には、初期の出現として不自然な
無明と提婆を除いて、五行で形のある、”木”を加え、
瓦と石を除いて、象と馬を入れれば、一段目は簡単
に配列できる。
つまり真ん中の列に玉将を置き、金将、銀将、銅将、
鉄将、土将、木将、酔象、桂馬、香車で、陰陽師作の、
19升目型の架空の原始平安大将棋の、一段目配列に
なる。更に、ここから土将から酔象までを除けば、
13升目の平安大将棋になるのである。(木将は、
大大将棋にある。)
ついで13升目制平安大将棋の二段目が、通説の一つ
の、横行、空き、猛虎、空き、空き、飛龍、奔車だ
とすれば、19升目架空原始平安大将棋では、四神
を置いたのち、後に色を示す文字を少し変えたと考
えても良いだろう。つまりたとえば、19升目では、
中央から横行、空き、白虎、空き、玄武、空き、朱雀、
空き、青龍、奔車と配列するということである。
そして3段目には、平安大将棋と同じく、歩兵を
このケースは19枚並べ、中央の歩兵の頂上に注人を
置けばよい。以上で19×19升目で駒数100枚
の将棋ができる。なお、白虎、玄武、朱雀、青龍の
駒は、泰将棋等の駒にあるので、動かし方は、それ
をらイメージしても、後に平安大将棋の猛虎と飛龍に
一致するように、適当に調節しても良いだろう。
 つまり19升目架空原始平安大将棋は、文章で
書いても上の程度のものなので、五行や四神
を知っている平安時代末の、将棋のデザイナーや、
大将棋が指せる程度の知識人には、頭の中で容易に
イメージできて、その出来栄えの賛美性について、
議論できる内容だったろうと思われる。つまり
たとえば「亀や鳥は、龍や虎より弱そうだから 
四神は、13升目制で2つだけ残すとすれば、龍と
虎だけにしよう」とか、そういう程度の会話で、平安
大将棋は、作れるのではないだろうかと、私はここ
では言っている。
 従来は、将棋の駒の枚数は、少しづつ多くなったと
議論され、それが定説だが、人間の頭は、複雑であ
っても、概念として理解できる形の方が、容易に把
握できるという性質が、あるのではないか。よって、
上に述べた要領で、大から小を作ったとしても、
余りおかしくないのではないかと、私には疑われる。
(2016/11/19)

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