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猛牛はいつ発生したのか(長さん)

後期大将棋では、斜め升目に対し正行度2踊り駒の飛龍の
対として、縦横升目に対して正行度2踊り駒の猛牛が存在
する。この駒は記録としては、後期大将棋より駒数多数の
将棋にしかなく、飛龍と異なり、平安大将棋に含まれない。
 将棋部類抄において、飛龍駒に対応して、次の動かし方
のルールを持つ。

縦横4方向の動きを前、後ろ、右、左に4分解した動かし方
の成分一つ一つ、それぞれについて、
①着地が空き升目か、相手駒の場合に出来、着地地点に相手
 駒が有る場合には、強制で取る、日本の将棋の通常の、
 着地条件の駒であって、
②自駒も相手の駒も、経路に当たる駒は、跳び越せ、
③相手の経路途中の駒については、取らなくても、取っても
 どちらでも良く、
④常に同じ方向に、元の位置から、隣接する升目に、一歩
 一歩進む正行度タイプの踊りであって、
⑤常に元居た升目から離れる方向に向かう、後戻りのきかな
 い動きをし、
⑥2歩について、限定的に進める、踊り数ピンポイント型の
 ”二踊り駒”である。

 この動きについては、起源が、平安大将棋の銅将を使った、
「縦横1升目歩みの駒の2回繰り返し動き」が一見予想され
るかもしれない。すなわちそれは、上の形式で、ルールを書
き出せば、恐らく次のように表現されるものである。

①までが同じで、原始形は②からが違い、
②相手の駒だけ、経路に当たる駒は跳び越せ、自駒を跳び
 越す事は出きず、従って自駒が有るとその方向には跳べず、
③相手の経路途中の駒については、必ず取らなければならず、
以下④と⑤は同じであって、
④常に同じ方向に、元の位置から、隣接する升目に、一歩
 一歩進む正行度タイプの踊りであって、
⑤常に元居た升目から離れる方向に向かう、後戻りのきかな
 い動きをし、
ただし⑥は違い、
⑥1歩でも2歩でもどちらでも良く、踊り数に範囲(1か2)
 の有る”二以下踊り駒”である。
と表現される。

つまり、これだと、「銅将2回繰り返し動き」から、
②自分の駒も跳びこせるようになり、
③相手の経路途中の駒については、取らなくても良い選択肢
 が発生し、
⑥踊り数は範囲(1か2)から2だけになった
という事になる。
しかし、以下私見であるが、

猛牛は正行度2踊りのモダンな動きで、後期大将棋の時代
に近くなってから、その時になって初めて確立された駒と
して、存在しただけなのではないかと、

私は今の所思っている。
 もし今述べた進化仮説のようだとすれば、「銅将を2回繰
り返す動きで、カーブしない方を選んだもの」が猛牛の、も
ともとの動きという事になるが、

「銅将を2回繰り返す動きのうち、カーブする方」は、その
ような駒が残っていない上に、もともと、
考えにくい動きのルールだから

である。つまり、それは存在したとしても、「玉将」と、
行き先が同じだが、隣接する斜め升目には、踊り駒の法則で
進んだり、斜めに進むときには、隣接する升目で、元の位置
から見て、前後左右の相手駒が、途中取りができる結果、
2枚取りできる、特殊な駒という事になる。
 つまり上の仮説の、「原始猛牛」には、「原始飛龍」と
違って「原始麒麟」にあたる駒が、少なくとも簡単には
イメージできない。そのため、普通唱導集の西暦1300年
ころの大将棋には、安易に猛牛を大将棋に加える可能性が、
前々回に述べた飛龍の猛虎を使った動きのルールの変更より
も更に、可能性が少ないように私には思える。
 ただし、鎌倉時代末期の遺跡から将来、猛牛とともに、
熊眼とか毒狼といった、平安大将棋の銅将のカーブ、Uター
ン型の動きを示唆するような名称の駒が将来出土したら、私
は上の考えを、素直に改めたいと思う。(2016/12/05)

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