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観音寺城下町遺跡出土駒と新安沖沈没船出土駒の比較(長さん)

前回話題にした、新安沖沈没船出土駒の駒形と成り金の
話題は、持ち駒ルールの出現年の話であり、このブログ
の趣旨の本流からすると、少し外れるのであるが、話題
にした経緯があり、比較例として戦国時代の、たぶん日
本将棋の出土駒の情報が、Webにも載っているので、
ついでに紹介したい。滋賀県近江八幡市安土町にある、
観音寺城下町遺跡から出土した、複数の日本将棋の駒と
思われる、将棋駒の遺物である。
 16世紀中ごろのものと思われる遺物として、発掘さ
れた駒が、コメントで紹介したページに載っている。紹
介のページの内容は、我々将棋の歴史に興味が有る者に
とっては、たいへん親切なものである。つまり、香車と
角行が未出土であるために、それを除いて、各出土駒の、
表と裏の写真が全部、写真で掲載されている。紹介者に
は、深く感謝いたしたいものである。
 この写真で目を引くのは、言うまでも無く、日本将棋
の駒のため、裏が龍王に成る、飛車が含まれている点で
ある。なお、この遺物は、酔象の存在で有名な、朝倉氏
一条谷遺跡の出土駒と、ほぼ同じ戦国時代のものであり、
その駒の形や字体も、朝倉駒と良く似ていると言われて
いるらしい。個人的に私には、朝倉駒も、新安沖沈没船
駒も、観音寺城下町遺跡出土駒も、外見では、だいたい
同じ仲間のように見える。
 さて次が、新安沖沈没船出土駒との比較で、重要な点
であるが、桂馬が銀将よりも小さく、大きさの差で、裏
から見ても、新安沖沈没船の駒と違って、銀と桂馬の区
別が、観音寺城下町遺跡駒では付くようになっている。
 ただし、観音寺城下町遺跡出土駒では、現代の日本将
棋の駒と違って、成り銀の書体と、成り桂馬の書体には
大きな差が、無いようである。他方歩兵の成りだけは、
銀や桂馬の成り等と違って、金がより、崩されている。
それで、歩兵についてだけは、金の字の崩し方と駒の大
きさの両方で、駒の表が、判るようになっているようだ。
ただ「と金」や「今金」には、この遺跡駒の歩兵の場合
には、なっていない。戦国時代までは、金の崩し方も、
特に定まって居なかったことも良くわかる。
 この事から、戦国時代以前の小将棋の駒については、
表駒の推定を、成り金の崩し方と駒の大きさの両方です
るとは、限らないと結論できる。つまり、成り金の崩し
方だけでする場合、駒の大きさの差だけでする場合、等
も、同様に、持ち駒ルールの有り無しを、出土駒から推
定する場合には、想定しなければならないようであった。
 さて、新安沖沈没船駒の場合、成り金の書体は、どう
なっているのであろう。歩兵の裏の金の字がやけに大き
くて濃く、”今”ではなくて、ひょっとしたら”金”そ
のものかもしれない。韓国の書籍とは別の、Webペー
ジの情報から類推すると、新安沖沈没船の、鎌倉時代末
期の駒は、取り捨てルールで使った方が、都合が良いよ
うな駒だった恐れも、結構あるような気もする。
(2016/12/27)
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df233285

観音寺城下町遺跡出土駒のページ(長さん)

上記のページは、次の通りです。
エイチテイテイピー://www.shiga-bunkazai.jp/%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E5%93%A1%E3%81%AE%E3%81%8A%E3%81%99%E3%81%99%E3%82%81%E3%81%AE%E9%80%B8%E5%93%81%E3%80%80no-78/
by df233285 (2016-12-27 07:50) 

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