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埼玉県吉川市須賀南側調査(長さん)

前回述べたように、土器の破片等、古代人の営みを感じさせる
領域は、どうやら、古利根川に面した、埼玉県北葛飾郡松伏町
下赤岩よりも少し下流の、中川合流後の地点で、旧中川が消失
した後の同じ側の岸辺、埼玉県吉川市須賀の北西端付近のよう
に思えた。ただ、この段階では、その中心が中川ではなくて、
新方川の岸べである疑いも、なおも捨て切れなかった。そのた
め、土器の頻出した領域の南に位置する、埼玉県越谷市増森の
新田側、同じく吉川市須賀の南西部から南部、吉川市の川野の
飛び地を、順次新方川に沿って、2017年1月27日の午後
にチェックしてみた。
 あいにく、埼玉県の土整備部により、新方川の護岸工事が、
だらだらと現在続いており、盛土で、新方川の岸が覆われてい
て、歩いただけでは新方川の、この地域の東の川岸については、
遺跡がありそうかどうかが、良くわからないのであるが、少な
くとも、吉川市須賀南西部と、同じく吉川市川野の飛び地には、
土器破片が多い場所が無いという事だけは、以下のようにかろ
うじて判った。よって遺跡の中心点はやはり、昔の中川の当時
の東の岸辺である、吉川市須賀の北西端付近にある事は、間違
いが無さそうだとの確信を、今回の捜索で初めて私は得た。
 すなわち新方川に沿って歩くと、埼玉県越谷市増森の新田か
ら、埼玉県吉川市須賀に入った直ぐの所で、土器のカケラの数
が急激に増加した後に、更に須賀の南西に進むと、土器が急速
に見つからなくなっていった。昔の中川の当時の東の岸に、細
長く、遺跡が存在するが、まだ今の中川は交わらないが、消え
た旧中川は既に合流した後の、更に下流の北岸には、もう集落
は無いと仮定すると、挙動が旨く説明できそうであった。
 また、再度帰りがけに、土器の破片が最もたくさん見つかる
地点にも立ち寄り、その多さの状況を他と比較した。やはり、
かなり狭い領域に、土器の小さなカケラが固まっているとの印
象を、私は受けた。
 ちなみに遺跡らしい証拠としては今の所、土器破片しか、私
には発見できない。むろん、将棋の駒が目当てであるから、今
後も、別の物体が無いかどうかを、逐次探してみるつもりだ。
恐らく住んでいる方にとっては、”地面に落ちているゴミとし
て、これが普通の姿”と思い込めば、土器の破片が、誰にも拾
われずにここで、たくさん残っている状態で、一生気がつかな
いで、終わる程度の、ありふれた焼いた土の破片に見えたのだ
ろう。私も栃木県栃木市星野で、土器のカケラを観察した経験
が過去に無かったら、注意が、全く向かないような、特長の乏
しい小物体である。また周囲を見回しても、埼玉県の土整備部
の護岸工事の、吉川市と越谷市を跨いで、連続的に続く、
機械的なやり方からみても、この遺跡について、気がついてい
る者は私以外、今の所誰も居ないように、私には感じられた。
 中川の付け替えが、恐らく明治時代位に行われた結果、ここ
の遺跡が護岸のための、客土による盛り土から、現在免れてい
るというのは、まさに幸運としか言いようも無いと、私は工事
現場を通って、つくづく感心させられたのだった。(2017/01/30)

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