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大阪電気通信大学 高見先生のブログが動いています(長さん)

だいぶん休止状態が続いていましたが、大阪電気通信大学の
高見友幸先生のブログのうち、摩訶大大将棋に関する部分に
動きがあります。

摩訶大大将棋の定義に関する、高見先生の、初めてと思われ
る見解が書き込まれました。升目が19升目であっても、駒
の数が、水無瀬兼成の将棋図の普通の摩訶大大将棋、敵味方
総数192枚の、半分程度でも「摩訶大将棋に含む」でよけ
れば、このアローワンス(偏差に対する許容範囲)に初めて
言及された、「高見研究室の摩訶大将棋の定義」では、私と
19×19升目の日本の将棋の、初見の年代に関する意見が、
ほぼいっしょになりえる事が、初めて明らかになりました。

また、成立年代の新旧に関し、平安将棋を引き合いに出した
にも係わらず、なぜか平安大将棋をスルーされています。そ
の点に関しては、本ブログのメインテーマからすると、少し
残念ですが、そのうち、「摩訶大大将棋と平安大将棋の新旧
に関する御言及」も、改めてはっきりとあるのでしょう。尚
高見先生は、摩訶大大将棋の方が、平安(小)将棋より、早
いとされています。この点に関しては、平安(小)将棋を、
どう定義するかによって、個人的には、先生の反対側に回っ
たり、賛成側に回ったり、私はしそうです。平安小将棋の源
を、私は基本的に外来種と見ており、それは発生年次が早い
と見ているからです。
 しかし当面、この議論については、本ブログの趣旨に外れ
ますから、必要なら別にブログを作る等して、私は行いたい
と思います。なお、

基本的に”19×19升目の日本最初期将棋ゲームの方が、
13×13升目とみられる平安大将棋よりも先”との立場、
を私は取ります。

北宋のシャンチーの変形ゲーム、広象棋の情報が、出来てか
ら数十年以内に、日本に入ってくる事は確実。また入って来
れば、陰陽道・陰陽五行説が、既に盛んな状態の日本で、
そのコンセプトを、まねないはずは無いと、私は見るという
のが、19×19升目の将棋は直ぐ発生するという根拠です。
 なお19×19升目の日本最初期将棋ゲームの年代は、
高見先生の、遅いほうの説と同じ、西暦1100年頃です。
江戸時代に、荻生徂徠作とも言われる、北宋の晁補之の98
枚制といわれる広将棋と同名で、使用する盤器具が碁盤と全
く同じ、広将棋が作成され、中国の、広将棋のキャッチアッ
プゲームの例が、別に有る事は既知であり、同じパターンの
キャッチアップが、中国で広象戯が造られた後に、日本に入
ってきて、直後の西暦1100年頃にも、日本でまねが、行
われたと考えるのが自然だと、私には思えるからです。つま
り当時は、中国(北宋・南宋・金)が日本に対して先進でし
たから、日本の人々は、晁補之の広象戯を知ってから、
19升目の日本の将棋に、改めて関心を向けるだろうと、私
が考えていると言う事です。ともわれ何れにしても、
高見研究室のブログのうち、”摩訶大将棋のパート”が、
今後も活発化するように、大いに期待する所です。
(2017/02/06)

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