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故溝口和彦さんの歩兵四段配列型の平安大将棋(長さん)

 wikipediaの2017年2月時点での平安大将棋にも
書かれているが、通常成書では、初期配列が歩兵列3段とされる
平安大将棋には、初期配列について異説があり、以下のように、
故溝口和彦氏によって、四段型が提案されている。平安大将棋
の初期配列に、不確定性があるのは、言うまでも無く、二中歴の
記載が、単に一文に過ぎないこと、「Xの前の升目にYを置く」
と記載しても、直ぐ前の升目か、1升目挟んで2つ前なのか、
Xの1手で進める位置に、Yという駒を置くのか、いろいろに
解釈できるからである。なお、溝口氏は二中歴の記載について、
「前」の表現方法が、横行、猛虎、飛龍について、順に「頂方」
「頂」「上」と、それぞれ異なる事を、彼の4段歩モデルの根拠
として挙げている。その結果、通常の歩兵列3段組モデルでは、
横行、猛虎、飛龍を、それぞれ、玉将、銀将、桂馬の隣接する直
ぐ前の升目と解釈したのだが、

故溝口氏は、横行は玉の二つ前の升目、猛虎だけは銀将の隣接
する直ぐ前の升目、飛龍は、桂馬の行き先で、盤の内側の方と、
二中歴の”大将棋の記載”を解釈して、以下の図のように、平安
大将棋の、歩兵4段配列の平安大将棋案を、発表した。
平安4.gif
これが、現在wikipediaの平安大将棋の所でも、紹介さ
れていると見られる「自陣4段モデル」というわけである。
 そして溝口氏の指摘で重要なのは、結果としてみると、二中歴
の不確実な、将棋ルール説明の問題の指摘と言うよりは、

平安大将棋は、歩兵が四段目の配列であった可能性がある

という点の方であった。歩兵配列が4段目である事の重要性の、
まず第一点目は、以下の通りである。すなわち、
彼の指摘のおかげで、徳島県徳島市に近い川西遺跡で「奔横駒」
が発見されたとき、横行を2段目に下げて、奔横駒を直ぐ前の
3段目の中央升目に置けば、香車と奔車、横行と奔横は、同様の
配列パターンになる事が、ただちに判ったのである。その結果、
大将棋は進化することが良くわかり、更に進化するにしても、具
体的に、どういう変化なのかが、よりスムーズに理解できた。次
に第2点目は、一段目の桂馬と、2列違いの、

5段目の仲人という配列が、ただちに想像できたため、普通唱導
集大将棋の2行目記載で、5段目端から4列目で「支えなければ
負けを喫する仲人」というイメージ化が、ほぼ、ただちに可能に
なった事

である。第1・第2の点何れもが、固定された平安大将棋、固定
された後期大将棋という定説を、彼が打ち破ってくれなかったら、
恐らく、大将棋のその後の歴史の解明の展開は、実際よりも、か
なり遅れたに違いないと、今さらながら、彼の先見性が偲ばれる
所である。(2017/02/21)

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