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東京都港区愛宕下遺跡、裏二文字金将鉄将駒状木片と当時の大名屋敷の住人(長さん)

3月7日、先だって江戸時代の遺物の成書で読んだ、東京都港区愛宕
の、愛宕山下遺跡の出土駒状木片の出た、江戸時代の愛宕下大名屋敷
街の住人について、江戸時代の古地図帳で、関連する人物が居るかど
うか、念のためチェックしてみた。当時の地域名で愛宕下現地に、
大名屋敷は20軒位、大名屋敷自体は、もっと広範囲に付近にも広が
っており、もとより駒の持ち主は、厳密には特定しにくい。が、
怪しい屋敷名として、「長谷川為次郎」屋敷というのが、愛宕山(当
時標高26m)の、比較的近くに存在する事が判った。

静岡県焼津市の小川城遺跡の出土駒が、中将棋の駒である事が知られ、
その城の持ち主が、webの情報によると、長谷川平蔵等の先祖とさ
れるため、苗字が同じである”長谷川為次郎”には、一応の注意が、
必要だろう。

ただし、この港区愛宕の江戸時代の屋敷に住む”長谷川為次郎”と、
焼津の小川法長者や子孫といわれる、長谷川平蔵との関係は、良く
わからない。webを調べてみると、

岡山県の江戸時代末期のの小領主に、長谷川為次郎の名が見え、
ひょっとすると、この愛宕の江戸時代の屋敷の主と同一人物かも
しれないという点が、判る程度である。

現在の地名で東京都港区愛宕に当たる、江戸時代の愛宕下の大名屋敷
で、駒数多数将棋と、繋がりを感じさせる人物の名は、今の所、これ
だけのようで、新たな知見は残念ながら少ない。(2017/03/08)

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