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摩訶大大将棋が荻生徂徠流広将棋の前身だとしたら何が違うのか(長さん)

前回、荻生徂徠の広将棋には、後期大将棋に見られる、袖小駒、悪狼、
猛豹、猫又等の小駒の動かし方をする駒が無いため、後期大将棋と、
造りが違う点を指摘した。
しかし、広将棋は19×19、後期大将棋は15×15の将棋である
から、比較は大まかにしかできない。むしろ、広将棋は19×19と
いう点が同じである、摩訶大大将棋との差を、注意深く論じるべきか
もしれない。そこで、今回は具体的に、摩訶大大将棋との差を、以下
調べてみた。
 まず
①走り駒と歩み駒列の逆転、つまり5段と6段目の逆点と、
②射撃駒の挿入、つまり4段目列の射撃駒の存在の問題、

以上①と②の2点は、
前者(①)が攻め速度の調整、
後者(②)が、鉄砲の伝来の時代的後先という、実製作時代の差
として、説明できるため、議論から除外してよいと、私には思われた。

それに対して本質的な差
③は、広将棋の4段目の馬兵列に、最も顕著に現れている

ように私には感じられる。
すなわち、

③摩訶大大将棋では「仏教駒」の段は、中央は仏教5駒で、特に強い
が、広将棋では、騎総が端列にあり端列だけ強いのが、両者の差とし
て最も目立つ。

繰り返すが、
広将棋を、摩訶大大将棋の後継のつもりで、荻生徂徠が作っていたと
したら、私に言わせると、

騎総を中央の隣列に置くはずで、この点が最も摩訶大大将棋とは違う

と考える。
 更に、端列の騎総の場所には、驢馬の動きをする強さ程度の駒を、
3列目には普通の桂馬の動きをする程度の強さの駒を、摩訶大大将棋
流ならば、置くはずなのではないかと私は疑う。
後者については、この列に騎総と馬兵しかなく、列により戦力に差が
無いのは、摩訶大大将棋風ではないし、本当は、馬兵系統の駒種が、
この列に、別の種類の駒同士として、より多種類並んでいたほうが、
ゲームには、更に変化が多いのではないかと、私は疑っているのだが、
そうはなっていないのである。

この第4段の”馬兵段”が、摩訶大大将棋の感覚からすると、駒の
初期配列が、両者間でパターンが違うと私が感じられる、最も大きい
点である。

が、もう一点敢えて述べれるとすれば、その下の3段目の、射撃駒の
配列も、摩訶大大将棋の製作感覚とは、かなり違うのではないかと疑
う。つまり、

④実際の広将棋では、内側から
仏狼機、象、弓、弩、砲、象、弓、弩、砲、象
となっているが、シャンチーおよび摩訶大大将棋の感覚だと、例えば、
仏狼機、象、砲、弩、砲、象、砲、弓、砲、象
と、シャンチーに準じれば砲が増え、かつ、摩訶大大将棋感覚で、
強い弩が、それよりは弱い弓よりも、本来なら内側に来る、並べ方に
なるのではないかと、私は疑う。

以上の3段目と4段目の問題③と④は、変更してもゲームには、面白
さに、ほとんど差はないので、ゲーム改良のための変形ではないと、
私は思う。(むしろ、そうしないほうが、若干良いかもしれない。)

従って、上記③・④の指摘の点のような広将棋ゲームに、荻生徂徠が
しなかったのは、彼が、水無瀬兼成の将棋部類抄以来、江戸時代の文
献に何度も記載されている、”摩訶大大将棋”が、これ自身、始原的
なゲームとは少し、違う駒の動かし方ルールを持つ、別種のルールの
ゲームであるという、何らかの証拠を、ひょっとしたら彼が、西暦
1700年前後の時点には、まだ記憶が残っていて、荻生徂徠は所持
していたのかもしれない。
 以上のように、江戸時代と新しい文献・記録にも、鎌倉時代末期の
手がかりを示すものが有るかもしれないと、私は淡い期待をして、
荻生徂徠の広将棋の造りを眺めている所である。(2017/03/19)

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