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普通唱導集の大将棋には何故”猪”駒があるのか(長さん)

普通唱導集によると、平安大将棋に無くて、普通唱導集の大将棋
に有る駒は、実質的に、飛車と嗔猪である。このうち名前としての
飛車は、イメージで奔車並に強そうである。だが、考えてみれば、
たとえば熊よりも弱い猪が、普通唱導集の時代に、大将棋へ加わっ
たのは、いったい何故なのかが、不思議のようにも思える。また、
”嗔”という字も、鎌倉末期には、比較的頻繁に当用されていた
のかもしれないが、少なくとも現在では、IMEパッドで手書き
入力しないと、変換されない程度に、余り使用されない字である。
 特に私の13×13升目104枚制仮説普通唱導集大将棋では、
悪狼、猛豹、猫叉、そして猛牛は無いと見たため、私の見方に従え
ば、その後の後期大将棋の中での導入以前に、この猪駒が導入され
る根拠を、一応考える必要があろう。
 さてこの議論で思い出されるのが、大阪電気通信大学の高見友幸
先生が発見された、

摩訶大大将棋には12支の動物名の駒が全部入っている

という事実である。ただし、私は狛犬を犬としたが、高見先生は、
狼を犬とみなしていたかもしれないと思う。”悪狼”とは、山歩き
をしている人間が、ちょっとでも、山で足がつまずくと、喰い殺し
てしまうという、狼の化け物または、悪神の事らしい。送り犬とい
う、類似の説話を持つ地方もあるとも聞いているので、「狼≒犬」
も、完全に否定は出来まい。
 ただし、一応狼は犬とは違うと、鎌倉時代中期に考えられたと
強弁するとすれば、

狼、豹、猫より猪の方が、日本のポピュラーな十二支の動物なため、
先に導入された可能性が、完全否定は出来ないかもしれない。

ただし、そうすると猛牛が、私のモデルでは、無い理由を説明しな
いといけなくなる。そもそも私のモデルでは、猛虎と嗔猪の間に
スペースがあり、ここに猛牛を入れると、108枚制になるが、
駒満杯の新しい大将棋モデルは作れる。ただし、猛牛を入れると、
飛龍と猛牛は、2升目動きの、”正行度の踊り駒”と見るのが自然
になり、”西暦1300年時点で、踊りの動きに関する議論が、
当時の棋士の間で、充分に確立していたのかどうか”という、それ
から250年以上も後の、水無瀬兼成の将棋部類抄時代にも、議論
が続いていたように見える問題に、突き当たると思う。もっとも
飛龍が平安大将棋、二中歴表記の一説の角行の動きで、

更に、西暦1300年当時の猛牛が、後期大将棋の動きとは限らず、
たとえば大局将棋の猛牛の、斜め前走りと前後1歩歩みという、
より判り易い動きだったとすれば、

この問題は、その時点では存在し無いかもしれない。
何れにしても、今の所、十二支に入っているか否か以外で、少なく
とも、

悪狼と猫叉が、鎌倉時代中期には大将棋の駒として、取り入れられ
ないという理由付けが、私には見出せ無い。

普通唱導集の大将棋に悪狼、猫叉が絶対無いと、言い切るのは困難
だろう。ただし猛豹の”豹”については、少なくとも、妖怪の類と
しては、あまり日本に伝説が、見られない動物のようである。なお
”豹は虎のメスと、日本では見られた”との話がある。(2017/04/08)

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