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玉製仏像中国各地博物館のチェック(長さん)

以前中国雲南省の博物館、雲南省博物館に、11世紀ころの、
大理国の水晶製の仏像があり、玉仏、玉の大理国皇帝、つま
り、将棋の玉将の起源かもしれないとの旨を、このブログで
私は表明した。しかし考えてみると、水晶等、玉製の仏像が、
中国各地の博物館に、幾つも見られるようだと、日本の
平安小将棋、大理国起源説は、相当に怪しい事になってしま
うのではと、懸念する。そこで最近、中国各地の博物館の、
比較的有名な展示物に、同様な素材の仏像が、どの程度ある
のかを、ざっとチェックしてみた。その結果、少なくとも、
日本で紹介されている、中国の博物館の、有名どころの陳列
品の範囲では、

水晶製の仏像は、雲南省博物館だけのようであった。

ただし、素材として銅に金をかぶせた金銅仏は、中国でも
他の所にもあり、上海博物館の北魏時代の金銅仏や、浙江省
の金華市には、五代十国時代の金銅仏が発掘され、紹介され
ていた。ただし、上海博物館のケースも、金華市のケースも、
同一地点から、玉、銀、銅その他、いろいろな鉱山資源を
使用した仏像が、雲南省大理市のように、同時に出土すると
いう例は、ほぼ無いようであった。その他、磁将という将棋
駒は日本の将棋には無いのだが、磁器製の仏像や、囲碁盤が、
河南省の博物館に、隋の時代の物として、あるとの事であっ
た。ただし、河南省の博物館のケースも、同時にいろいろな
素材の仏像が、陳列されてはいないようである。
 以上の事から、今の所、日本の史料に将棋が最初に現れる
11世紀の頃に、玉・金・銀・銅・・・にちなんだ遺物が同
時に出土する外国の地域として、私には、中国雲南省の当時
大理国の首都があったとされる、大理市以外には、紹介され
ている外国の博物館の陳列品の例を、発見できてはいない。
 従来、小将棋が将棋史研究の主体であったために、昔の日
本の将棋には、玉、金、銀の将以外に、銅、鉄、瓦、石、土、
木の将が存在するという点に、余り注目がされなかったと思
う。しかし私に言わせると、日本の将棋の伝来元や起源を論
じる際には、玉、金、銀だけでなく、銅、鉄、瓦、石、土、
木に関連する事物も、概ね同時に存在する地点を、将棋伝来
の候補の一つと考える事には、現実には日本の将棋種として、
駒数の多い将棋が概ね古い物が多いため、全く意味が無いと
までは言い切れないのではないかと、思われるのである。
(2017/05/05)

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