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中将棋の「獅子の特別な規則」はいつ成立したのか(長さん)

以下、大将棋の話題からは少し外れるが、中将棋が普通唱導集時代
の大将棋を、恐らく駆逐する理由になったと、少なくとも私は見る
「獅子の特別な規則」の成立時期について議論する。私見では、

南北朝時代の間と考えるが、文献としてはっきりとしているのは、
江戸時代、元禄16年松葉軒板「中将棋(基)指南抄」以降のよう
である。

ただし、個人的には安土桃山時代の、水無瀬兼成の将棋部類抄録の
「仲人 不行傍立聖目内成酔象或説云居喰(喫)師子許也」を、
”仲人は初期配列のときには横には動けず、相手陣の5段目(聖目
内)に突入して初めて、横にも動ける酔象に成る。さらに或る説に
よると、

師子は仲人については、付け喰いもでき(居喰いと付け喰いを、
間違えていると考える)、結果付け喰いの例外規則になっているのは、
歩兵だけだと言う。”

と、意訳しているため、獅子の特別な規則は、安土桃山時代からは
有ると考えている。であるにしても、

水無瀬兼成の将棋部類抄も、西暦1580年代より以降であるから、
中将棋が全盛だったとみられる、西暦1400年から1500年の
間に、”師子を師子で直接とる規則”とか”先獅子の規則”だとか
が、有ったのかどうかについては、史料は無いため、仮説といえば、
仮説だろうとは認識する。

 しかし、もし「獅子の特別な規則」が無かったとしたら、西暦
1400年から1580年まで、獅子の特別な規則の無い中将棋と、
持ち駒ルール有りの9×9升目36枚制平安小将棋の並存時代だ
ったはずで、さぞや将棋界は低迷していただろうと、想像するのは
容易なような気もする。そもそも、獅子の特別な規則の無い中将棋
が、普通唱導集大将棋を、本当に駆逐できたのかどうかも、ひょっ
とすると疑わしいかもしれないと、個人的には思うのだ。そこで、
獅子の特別規則の成立年代は、未だ仮説でしか無いのだが、
西暦1450年の南北朝時代に、中将棋が成立してまもなくの頃に、
盤が12升目と小ぶりなために、獅子の互い取りが起こりすぎる事に
容易に気が付いた将棋指しが、比較的早い段階で、導入したのでは
ないのだろうかと、今の所私は考えているという訳である。
(2017/05/06)

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