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江戸時代の駒数多数将棋の書”象戯図式”後期大将棋仲人の位置の謎(長さん)

これまでこのブログでも、後期大将棋の仲人の初期位置は、角行の前
の歩兵の更に前の升目、すなわち先手の側で、5十および11十とし
てきた。しかし、私の知りえる範囲で、江戸時代、元禄7年の諸象戯
図式の筆写本とされる将棋の書、”象戯図式”の後期大将棋では、
4十および12十の、竪行の前の歩兵の更に前の升目に、仲人が記載
されている。

言うまでも無く、普通唱導集の大将棋の記載では”嗔猪と腹を合わせ
桂馬で、支えられるとみられる、仲人の記載があるから、この異説を
書写の誤りと、簡単には切り捨てないで、詳しく議論すべき

と私は見る。ただし、象戯図式の”大象戯”の4列五段の位置の、
聖目の打ち方は、4・5升目の聖目というのが、体裁として変であり、
後期大将棋と類型の摩訶大大将棋では、象戯図式でも、仲人が角行の
前の歩兵の更に、前の升目になっており、不自然さは確かに多い。
 研究者によっては”水無瀬兼成の将棋部類抄が、これらの江戸時代
の棋書の、元々のネタである”として、将棋部類抄の角行前の前の升
目の仲人にしか、言及しない場合も有るように思う。ただし将棋部類
抄には、天竺大将棋の初期配置図が無く、天竺大将棋では縦走り型の、
飛鷲の前の前に犬が来るので、誤写と頭からは決め付けられず、そこ
には何か、本当はあるのではないかと、かんぐりたくなる、悩ましい
事項である。
 ただ以下私見だが、象戯図式の後期大将棋配列が万が一正しいとし
ても、

やはり、後期大将棋には猛牛に、猫叉の紐が付いているので、斜めと、
縦の走り駒の連携で袖を破るのは、”竪行頭仲人ルール”でも難しい

と私は思う。つまりその場合は、相手右角行で右竪行前の歩兵が狙わ
れていると考える訳であるから、仮に嗔猪を1歩袖に寄せてから上げ、
歩兵の段、五段目で待機させて、斜め攻撃に対応させたとして、この
ケースは仲人が歩兵の所に、仮に一歩下がって守る展開に仮になれば、
3十一位置の嗔猪と3十三と跳んだ桂馬で、”支えられる”となる訳
である。つまり、仲人が、元々5段目にい無いのを、歩を取った相手
駒で取り返す事で、一歩下がって桂馬で支えられると、考えるという
事だ。普通唱導集大将棋が、後期大将棋であると紹介した、初期の文
献にも、このような展開を示唆する棋譜が、確か載っていたように
私は記憶する。しかしこのケースも、仮にその地点を更に破られ、2
十三位置の猛牛が取られたときに、同猫叉と取り返す事が元々できる
のであるから、

それまでして4十一の地点を支える意味が、本当にあるのかどうか謎

だと思う。つまりその後、1筋の後手香車、反車で、この後期大将棋
の”耳が破られる”事は、やはり無いのではないかと言うことである。
従って普通唱導集の大将棋が、歩兵が4列目に存在する、象戯図式
後期大将棋という事も、やはりほとんど可能性が無いように、私は思
うのだが、はたしてどうであろうか。(2017/05/07)

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