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岩手県平泉志羅山遺跡、両面飛龍出土駒の共出土物(長さん)

さいきん、河出書房新社から2013年に出版された、平泉文化遺産
センター所長の大矢邦宣氏著書「ふくろうの本 図説平泉」に、平泉
志羅山遺跡の両面飛龍駒が、掲載されているだけでなく、志羅山遺跡
で、出土した他の出土物の情報が、写真で載っているのに気が付いた。
なお現地は、平泉駅からほど近い所に有ると、認識される。さて、
 以前、このブログで、この平安大将棋用そのものではないかと疑わ
れる、志羅山遺跡の両面飛龍駒については、法事に使われたような、
メモリアルな物品と、書いたように記憶する。しかし、共出土品を見
ると、

どうもそうではないようだ。

すなわち共出土品は、同書には
1.白磁水注(磁器製の水差。中国福建省産の優品(上記著書))
2.常滑三筋壷(陶器製の壷)
3.オシドリの文様を銅で象嵌の形と同じにした鉄製の馬の轡
4.中が空洞のサイコロ(盤双六を”いかさま賭博”に使用か?)
となっている。
 なお、法事に使われたようなメモリアルな物品のように、少なくと
も私には見える、栃木県小山市神鳥谷曲輪遺跡出土の、裏一文字金角
行駒の共出土物は、以下のように認識している。
1.磁器製の製品の破片
2.盆栽の入った植木鉢
3.火鉢の破片(8号井戸跡に1破片と別の20号井戸跡に3破片)
4.仏塔(昔の墓石)
5.櫛の破片(将棋駒とあわせて、8号井戸跡)
6.下駄(8号井戸跡。サイズが女物)
なお、栃木県神鳥谷曲輪遺跡は、大字神鳥谷の下の字地名が、青蓮寺
堤であって、4の中世の墓石が出ている所から見ても、お寺が連想さ
れる。それに対して、岩手県平泉町志羅山遺跡の場合には、以下私見
で、私は真偽を確認していないが、少なくとも

私には志羅山の名は、城山が訛ったようにも聞こえ、武家の館の中に
あった物品の出土

との先入観を、もともと受けてしまう傾向の、有る物のように見える。
 ただし栃木県小山市の神鳥谷曲輪からも、1.磁器製の製品の破片
が出土している。そして発掘者から、私が聞き取った所によると、
それは、中国宋代の高級骨董品のカケラだと言い、岩手県平泉町志羅
山遺跡出土の1.白磁水注(中国福建省産の優品)と、類似となる。
ただし、小山市の方の磁器製製品の破片は、発掘者の説明では、
南北朝時代の、小山城関連の出土品という位置づけのものであって、
室町時代から戦国時代にかけてだと見られる、同じ位置に存在した
”小山市市内の古廃尼寺”の所有物ではないと、解釈されているよう
である。そうすると、小山市の1.磁器製の製品の破片は、
裏金一文字角行駒が、そこにあった時代の建物の種類を、余り反映
してはいないと、言う事になるので、リストから削除しても良いと
考えられる。つまり、

栃木県小山市の方は2~4より、お寺に置かれた将棋駒のようであり、
それに対して、
岩手県平泉町の方は1~3より、武家屋敷の備品の将棋駒のよう

に見えると、言う事になる。
更に用途についても、

栃木県小山市の方は5と6により、お寺の特設の開基者の尼用かと想
像される、仏壇に供えられた将棋駒のようであり、それに対して、
岩手県平泉町の方は4と5により、武家屋敷厩の横の”遊戯の間”に
置かれた、双六、将棋、そして恐らく囲碁の備品の一部のよう

に見えると、言う事になる。
特に、岩手県平泉町の平泉志羅山遺跡出土駒のケースは、室町時代末
期に、狩野元信が書いたと伝わる、厩図を、少なくとも私には連想さ
せるので、興味深い出土品の組み合わせだと、私には思われた。
 思えば、当時は草書体の方が、楷書よりも、当時は普段使われる、
見慣れた字であったとされている為、平泉両面飛龍駒は、仏教崇拝用
ではなくて、実用品として、作られていると、最初から決めて掛かっ
た方が良かったのではないかと、私は以前の間違った解釈を、反省し
ている。
 それにしても、このような貴重な駒が、現地で盗難にも合わず、そ
のまま、伝わったのは奇跡と言えば、奇跡だが、何かの秘訣があった
のだろうか。ひょっとすると、窃盗犯が現われても、おおかた、将棋
は、小将棋しか指さなかったので、使わない飛龍駒等は、そのまま
残していって、くれたのかもしれないと思う。
 何れにしても、こんな貴重品が出土した事は、誠にありがたい事だ
と私も思う。(2017/06/10)

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