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平安大将棋の陣形が凸型の兵棋なのは、武経総要の挿絵図がもと(長さん)


前回このブログで書いた、日本の大将棋の類の全体としての陣の形が、
兵棋の凸型になっている問題について、その後予定通り更に調査した。
 中国の史料だが、戦争時の兵法について書かれた官製の書が、

日本の平安時代後期の宋の時代、すなわち西暦1040年頃の、程よい
時期に作成されており、その書には兵の分散のさせ方、いわゆる戦陣に
ついての説明が、書の中に、珍しく文章ではなく、図として挿入されて
いる、

との情報が、幾つかの現代の、日本の百科事典により得られた。中国の
当時の宋の時代の書籍の名前は、本日の表題のように”武経総要
(ぶけいそうよう)”と言うようである。
 平安大将棋が作成されたのは、恐らくその数十年後であるから、
この書の”戦陣を図版という図で示す”という、アイディア自体が存在
するので、私はそれがあれば、日本国内で、兵棋型の凸型戦陣キャラが、
発生するのは、必然だろうと私見された。すなわち、オリジナルの武経
総要における、戦陣キャラの形が、たとえ少し違っていても、日本人が
適宜、凸型の戦陣キャラを、西暦1100年頃までには考え出す事は、
充分可能だと結論したという意味である。
 なお、実際の書の図は、現時点で私には確認できていない。webで
同書は、中国のサイトで紹介されている。それによると、日本の現代の
百科事典に記載の”戦陣図”は、武経総要の第8巻に、載っている事が
判る。ただし、そのサイトに図そのものは、今の所抜けているようであ
る。それに対して、武経総要を紹介した日本の現代の書物に、古代の兵
法の戦陣図が、おそらく、武経総要の第8巻の図をまねて記載されてい
る。それによると、戦陣は凸ではなくて、基本長方形になっている。
 むろん宋の時代の武経総要は、私が確認できていないだけで、現存は
する。ので、図絵の正確な内容は、私には、たまたま現時点で判らない
だけである。
 そこで仮に、武経総要の挿絵図の、戦陣の形のキャラが、凸型ではな
くて長方形とする、私の現時点での懸念が正しかったとしても、日本人
が、それを見れば、戦陣を他人に説明するのに、図を使うというアイデ
ィアが、西暦1050年前後以降には、当たり前になると、推定できる
と私は見る。実は、それが大切だと私は思う。何故なら日本で、何人か
が武経総要を真似て戦陣図を書いているうちに、長方形から凸型に変え
た方が、正確に見えるのに数十年時間があれば、その間に当然、気がつ
くに違いないと、思われるからである。特にそれを学習する者が、将棋
を指す者なら、将棋駒が長方形ではなくて、五角形である事から、戦陣
印が図で、敵味方のどちらの戦陣について、書かれているのかについて、
長方形を五角形とか凸型に変えれば、より正確に、相手に通じる事には、
すぐに、気がつくに違いないと、容易に推定できるからである。
つまり、

凸型戦陣キャラを、平安時代に、武経総要の挿絵図を見て、必要に応じ
てそれを少し改良し、日本人が、戦陣形の学習用に考え出していた可能
性が、相当に高い

と私は思う。そうした平安時代の和製の、今は伝わらない学習用の図を
見て、平安大将棋の作者は、孫子の兵法にも載っているという、スパイ
を意味する注人を、彼の作成した平安大将棋には、加えたのではないか。
従って、やはり平安大将棋に始まる、小将棋を除く日本の将棋の、初期
配列の全体としての、凸型配列は、日本人が平安時代の末期に使った、
今言う兵棋の、今と、たまたまほとんど同じ凸型の形に由来する、と見
て、やはり良いように、私には思えるのである。(2017/06/19)

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