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桂馬跳びの動きと桂馬の初期位置の謎(長さん)

日本の古い時代の将棋で特徴的な点の一つに、桂馬の動きをする駒が
少ないという事がある。実際桂馬跳びをするのは、幾つかの将棋種に
ある、桂馬自身と、和将棋にある、風馬の成りの天馬位である。しかも
天馬の場合、たとえば、ものと人間の文化史23-1将棋で紹介され
ている、象戯図式の和将棋では、「桂馬跳びの動きをする」と解説さ
れているにも係わらず、図示では桂馬跳びと表現されていない等、不可
解な駒である。特に日本の将棋には、正面動きを方位角0度として、
方位角約26.5度のX=+1、Y=+2の動きの桂馬は有るが、その
他の方位角、たとえば約63.5度のX=+2、Y=+1の動きの駒が、
全く存在しない。ようするに桂馬跳びの駒は、存在が桂馬以外には、
はっきりしないのである。理由は前に述べたが、結局、小将棋以外は、
文書でゲームのルールが伝わるだけで、口伝では、歴史の途中で、
どのゲームも伝承が、どこかで途絶えている証拠なのではないかと、
私は思っている。墨と筆で駒の動かし方のルールを、桂馬跳びルールは、
縦か斜めの場合に比べて、表現し難かったのだろう。
 そのために、桂馬跳びの駒の記憶が、桂馬以外には、100年という
タイムスパンでは、伝わり難かったので、有っても消えたと私は考える。
水無瀬兼成の将棋部類抄の、桂馬の動かし方ルールの表現が、方位角
45度になって問題になっているのを、その証拠の一つと見ていると言
う事である。
 ところで、桂馬跳びをする、事実上唯一の駒である桂馬には、

摩訶大大将棋で、相アタリする4段目位置に、相手と12段差で配列さ
れている

という別の謎もある。他で、桂馬が相アタリするゲームは、標準型の
平安小将棋、現代の日本将棋、朝倉小将棋、平安大将棋、13升目型の
仮説普通唱導集大将棋である。なお、中将棋と大大将棋には桂馬は無く、
天竺大将棋と泰将棋、それに15升目型の後期大将棋は、8升目型で
段差が7段の原始平安小将棋同様、それぞれ天竺大将棋が15段差、
泰将棋が22段差、後期大将棋が14段差となっていて、それぞれ
桂馬が、相アタリしない位置に、配列されている。

これらの事実には、何か理由が有るのだろうか

というのが、今回のメインテーマである。そこでまず結論を書くと、
13升目型の平安大将棋と、15升目型へ移行する直前までの、仮説
普通唱導集大将棋で、桂馬の段差が12段なのは、9段型の標準平安
小将棋で相アタリする結果、ある程度の何らかの回避手筋が、確立さ
れ、

その後で作られたゲームのために、手筋が類似になるよう、上位互換
性を持たせるという意図で、12段差が選択されたという理由も、何
か、有ったのかもしれない。更に、摩訶大大将棋で12段差なのも、
同様の意図が、こちらにあるのは、むしろ濃厚なのかもしれない

と私は、薄々だが考えている。
 ただし具体的に、9升目型標準平安小将棋の”桂馬相あたりの回避
手段が、どういうものなのか私には、はずかしながら考えても、実は
良く判ってい無い。
 何れにしても、そのような意図が有って、桂馬の位置を決めている
とすれば、

摩訶大大将棋も、後期大将棋とは違って、実際に本気でゲームする事
を狙って作られたゲーム

と言う事になろう。また15升目型の後期大将棋は、飾り物的なゲー
ムであり、実用性が希薄な証拠の、あるいは一つなのかもしれない。
 個人的には、桂馬12段差型は8段差に比べて、桂馬同士のすれ違
いの確率が、実戦上は増えるので、同じでは無いと考えている。桂馬
段差4の倍数型でも、8段ではなくて12段差にしたのは、あるいは、
すれ違いの確率を、適度にするための、調節なのかもしれないと思う
が、私には良くわからない。そもそも、攻め駒が増加すれば、桂馬の
駒価値は、相対的に低下するので、そのせいで後期大将棋が、つまら
なくなっているという可能性も薄いと思う。が、この事自身に、何か
情報が含まれている可能性が、絶対無いとは言い切れないと思うので、
各将棋の桂馬位置については一応の注意は要すると、現時点でも警戒
してはいる。(2017/06/20)

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