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一乗谷、裏”和田”歩兵駒の謎(長さん)

以前、1974年より少し前に、福井県の一乗谷朝倉氏遺跡の第9次の調査で、
170枚余の将棋駒が出土した。”酔象駒の存在から、朝倉小将棋の存在
が推定された”事で、たいへん有名なイベントである。ところで昨日、中国
西方奥地のホータン市の、鉱物古玉について書いた後、しばらくして、この、
福井県朝倉氏遺跡の出土駒について、表題の件に気がついた。たとえば、天童
の将棋駒と全国遺跡出土駒の、図46番、一乗谷朝倉氏(9次)遺跡(福井県)
の178番に、裏が”和田”と書かれた歩兵駒が、スケッチだけが、判りやす
く、写真は黒く潰れた形で一枚載っているが、

この和田は”わだ”ではなくて、ひょっとしたら”ホータン”なのではないか。

つまりいたずらで、たとえば、”この歩兵は和田さんの所有の駒”の意味で
作成されたとは、断言できないのではないかと、いう事である。これが、ホー
タンを意味するとして、一番簡単な説明は、

この歩兵駒だけ、成ると8方に隣接升目へ動けるような、将棋を指した。

というものであろう。いたずらの可能性が強いと、私も大内延介氏同様考える
が、中国の都市ホータンの漢字も、和田と書き、しかも古玉の産地として著名
という事であれば、上記の可能性を、完全に排除とまでは、出来ないように思
う。何れにしても、この一乗谷朝倉氏遺跡の

出土駒の作成者は、将棋の歴史について、何らかの知識がある

と、一応疑った方が良いように、私には思えた。ひょっとして、日本の将棋の
玉将駒の材質が、日本へ伝来したときには、ホータンの玉を彫刻して、作成さ
れていたという、情報を持っている人物なのであろうか。
 一乗谷の朝倉氏の支族に、和田という苗字の武士は、居なかったという証拠
も無いのだが、気がついた時の、驚きを忘れないようにするため、私は個人的
に、この全国遺跡出土駒の、図46番、一乗谷朝倉氏(9次)遺跡(福井県)
の178番の歩兵駒を、以後

”裏ホータン歩兵駒”と呼ぶ

ようにしたいと、決心した所である。(2017/07/14)

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