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大理原始平安小将棋駒の抽象化。元代”サイイド・アジャッル統治”が原因(長さん)

先に、原始平安小将棋用の立体写実駒が、マークルックの抽象的な仏塔駒に変化
したのは、(1)11世紀~12世紀と、比較的早い時期の、タイ国内モン族、
海岸交易国家での、イスラム教の受け入れと、私は説明した。しかし、良く考えて
いるうちに、(2)日本の戦国時代後期の山田長政が活躍した時代の、タイの交易
都市での、ムガール帝国文化との接触による、マークルック駒の抽象化でも、説明
が出来る事に気がついた。なお、(2)だと、マークルック駒が仏塔に抽象化した
のは16世紀だから、モン族とタイ族は、どちらもタイ国内に居る事になる。
 ところが、その後web等で、中国雲南省の歴史を調べていた所、タイ人自体
が、原始平安小将棋を11世紀初頭の日本へ伝えたすこし後の、13世紀、蒙古
帝国の支配下の時代に、イスラム文化と、表題に示したように、接触していた事
が判明した。従って、(1)で、マークルック駒の抽象化を説明した、私のページ
は、他に幾つもの説明が有り得るという点で、不十分だったと、深く反省させられ
た。ここで、雲南省のたとえば盆地で、蒙古帝国支配下の時代に農業を営んでいた
タイ人が、イスラム文化と接触したというのは、

蒙古帝国が中国雲南省を管轄する、提督として派遣した(3)サイイド・アジャッ
ルという人物が、ジンギスカンに忠誠を誓った、イスラム教徒だったためである。
つまり、タイ人の多くもその影響を受けて、立体原始平安小将棋駒を、偶像崇拝を
連想させない、抽象的な駒の形へと、変化させた

可能性があるという、意味である。なお、大理国の王族だった、白族(ペー族)の
段氏一族は、蒙古帝国支配の時代には、蒙古の提督の補佐官へ、降格していたと、
私は理解している。なおその後の調査では、タイ国内モン族が、日本の平安時代に、
海岸交易国家を形勢していたとしても、影響度は、イスラム教よりも、インドの
ヒンドゥー教の方が、大きかった疑いが強いと調べがついた。なおモン族自体も、
大理国の王族といっしょで、仏教徒として、かなり厳格な民族だったようである。
 従って、以前の私の、”(1)11世紀~12世紀と、比較的早い時期の、タイ
国内モン族の海岸交易国家での、イスラム教の受け入れ”説は、可能性が比較的
小さく、

(2)日本の戦国時代後期の山田長政が活躍した時代の、タイの交易都市での、
ムガール帝国イスラム文化との接触による、マークルック駒の抽象化

が、一番可能性としては大きく、つづいて、(3)サイイド・アジャッルという
人物が、ジンギスカンに忠誠を誓った、イスラム教徒だったため、元代にタイ人
の多くも、その影響を受けて、象棋駒を偶像崇拝を連想させない、抽象的な駒の形
へ、変化させた可能性も、否定できないという事ではないかと、修正を余儀なく
された。なお、(3)より(2)の方が、可能性が大きいと私見するのは、

蒙古帝国は、個別の征服地域の文化に寛容で、サイイド・アジャッルという人物も、
雲南では当時人気が高かった

という情報から、個人の宗教を、現地のタイ人に、余り強要しなかった可能性が、
強いのではないかと、推定されるからである。しかし、可能性が薄いと、その後
思われるようになった日本の平安から鎌倉期の(1)の他に、戦国時代後期の(2)
と、鎌倉時代の(3)の可能性が有り得、解明が簡単で無いという事だけは、
マークルックの駒の形の歴史に関して、ほぼ確かだと、現時点で私も、さすがに
思い知らされた格好である。(2017/07/22)

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