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金将駒の動きは、誰が考え出したのか(長さん)

日本将棋連盟発行の木村義徳九段著「持駒使用の謎」(2001年)によると、
「金将のルールを、中国シャンチーの士の動きから、現行の6方向隣接升目動き
に”改善”したのは、日本人である」との旨、記載されていると認識する。私は
個人的には、この説には反対する。

中国シャンチーの士の斜め4方向隣接升目動きの方が、金将の6方向一升目に
比べて、取り捨てルールのケースは、より優れているので、賢明な日本人棋士が
そのようにルールを変える、可能性はほとんど無い

と、考えるからである。つまり、このケースは、より駒の動きが弱い方向が、
退化ではなくて進化と、私は見ているのである。そして、日本に流入したゲーム
に副官駒が、士の動きになっているゲームが、たとえ有ったとしても、それは
日本では流行らずに、廃れたゲームのルールであり、日本の将棋に、繋がる
ものではないと、私は考える。
なぜなら、士を金将へ取り替えるのは、

進化ではなくて、退化

だからである。
では、何故、金将と士では士の方が、より良いのかと言えば、

玉囲いの構成員になる、能力が金将に比べて、士の方が劣るから

と私は、ほぼ断定する。もともと駒数の少ない小将棋、小象棋、西洋チェス類で
は、大駒の数が、限られているので、玉駒守りは弱いほうが、対局両者とも、
守り駒が排除しきれずに、玉駒の取り逃がし、引き分けるという確率の増加が、
防げると見る。そこで、

玉駒を守る能力が強い副官が存在するよりは、玉駒を守る能力が余り無い副官し
か居無い方が、よほどまし

なのだと私は思う。なお、女王は攻め駒としての能力を持ち、士より更に優れて
いたので、西洋チェスは、現在では世界を席巻しているとみられる。さてそこで、
実際には、

インド・チャトランガからアラブ・シャトランジに変化するときに、玉駒の動か
し方ルールの、動ける隣接升目が8か、それに近い数である、副官駒ルールが、
斜め4升目へと、8近辺から4に減らされた

と、私は見るのである。これが、チャトランガからシャトランジへの変化である
という証拠としては、

サイコロを使った4人制ゲームが10世紀頃、チャトランガについては発生した
が、シャトランジ経由でも、4人制ゲームが出来たと、いうような話はない

という点が、挙げられると思う。従って、表題の問いであるが、

金将の動かし方ルールを発明したのは、日本人ではなくて、インド人だ

と私は推定する。というよりは、

シャトランジが成立するまでは、そもそも将棋・象棋・チェス型ゲームの元祖
のチャトランガは、副官駒が金将か、酔象の類の動かし方ルールだった

のではないのだろうか。であるから、副官駒は玉駒と混同されて、玉将の動き
に戻せばよく、スムーズに2人制チャトランガから、サイコロゲームの4人制
チャトランガが、10世紀頃インドで、発明できたのではないかと、私は思う
のである。
 なお、私のような将棋の力の弱い者が上記を述べるのは、木村義徳九段には
失礼かもしれないし、面と向かって述べても、相手にされないかもしれない。
ただし、私には、上記の論には、多少の自信がある。なぜかと言うと10年
ほど前に、日本将棋連盟の2代前の会長で、亡くなった米長邦雄永世棋聖が開
設した、将棋の掲示板に、「隣接升目に行ける数が多い小駒ほど、玉囲いの構
成駒としての性能が高い」との旨書き込み、米長永世棋聖から「その通り」と
の御褒めの言葉を、私にしては珍しく頂戴した事があったのである。従って、
上記の論は、木村義徳九段には仮に通じなくても、日本将棋連盟の元の会長の

故米長永世棋聖が、以上の論に関しては、あの世で見ていて、大きくうなずい
てくれるだろう

と思っているのである。蛇足だが、私は日本将棋の素質は、ほぼ無いので、
故米長永世棋聖から褒められたのは、このときともう一回、国立公文書館が、
同所が所蔵している、将棋古文書の一般人向けの展示会を行っているのを、
目ざとく見つけて、将棋連盟に通報したときの、計2回だけだった。

 ともあれ以上の事から、中国シャンチーはシャトランジ経由、日本の将棋は、
原始的なチャトランガの面影を、金将が残したゲームだと、私は推定する。

駒名の表示が1文字か、2文字かの差も、根本的にはそこから来るのだと思う。
唐でも特に都の長安では、当時最もモダンとされた、アラブのシャトランジが、
象棋としては、主流だったのであろう。実際都で指されたゲームが元になって、
現在のシャンチーが、出来たと考える方が、例えば中国であっても山奥の、
南詔国のゲームから進化したと考えるよりも、陸のシルクロードの存在から見
て、イスラム圏と繋がりが容易であるために、自然だと私は思う。
 そして副官駒と玉駒とが余り差が無い、チャトランガに近いゲームが、王権
が余り強くなくて、日本の安土桃山時代のように、諸侯の連合国家のような国に
インド~ネパール~チベットのラサを経て伝わり、しかもそこが、たまたま
鉱山国家だったために、その国すなわち当時の大理国に於いて、将駒が玉・金・
銀と3種も有るゲームが、たまたま発生し、日本にはほぼ、そのまま伝わった
のが、原始平安小将棋の正体だと、私は今ではほぼ断定するのである。
(2017/08/03)

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