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平安大将棋から私説108枚制普通唱導集大将棋への進化過程(長さん)

前回、概ね13世紀中ごろの、大将棋の状態を説明したついでに、以下
私説の大将棋進化について、記しておく。ただし、以下の内容は、元より
暫定的であり、詳細は、より詳しい情報が、得られない限り確定できない
と考える。
まず、出発点として、
西暦1200年頃の、大将棋は、二中歴に記載されているように、13×
13升目68枚制二中歴大将棋で、次の形だったとみられる。
なお相手陣を、こちら側から見る向きで、表示しているので、相手陣の右
辺が左に、左辺が右に来る。

段目
①香車、桂馬、鉄将、銅将、銀将、金将、玉将、金将、銀将、銅将、鉄将、桂馬、香車
②奔車、飛龍、空升、空升、猛虎、空升、横行、空升、猛虎、空升、空升、飛龍、奔車
③歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵
④空升、空升、空升、空升、空升、空升、注人、空升、空升、空升、空升、空升、空升

成りは、私の説によると、次の通り。

段目
①金将、金将、金将、金将、金将、不成、不成、不成、金将、金将、金将、金将、金将
②金将、不成、空升、空升、不成、空升、不成、空升、不成、空升、空升、不成、金将
③金将、金将、金将、金将、金将、金将、金将、金将、金将、金将、金将、金将、金将
④空升、空升、空升、空升、空升、空升、金将、空升、空升、空升、空升、空升、空升

二中歴大将棋では、異説があるが自陣は3段かもしれない。ただし、
これが30年程度で、4段目になったと私は考える。理由は”奔横”が、
発生したためである。以下30年ごとの、変化を記載するが、この30年
という数値は、不確かで暫定的である。すなわち、

西暦1230年頃の、大将棋は、4段配列になり、徳島県の川西遺跡の、
奔横が加わったものだと、私は推定する。また、飛車は飛龍と香車から、
自明に思いつけるので、この段階で、一応有ったものと仮定した。以上
により、大将棋は、74枚制になったと見られる。また奔車は、飛車が
発生した時点で、イメージが名前と合わなくなり、反車に取り替えられ
たと見られる。

段目
①香車、桂馬、鉄将、銅将、銀将、金将、玉将、金将、銀将、銅将、鉄将、桂馬、香車
②反車、飛龍、空升、空升、猛虎、空升、横行、空升、猛虎、空升、空升、飛龍、反車
③飛車、空升、空升、空升、空升、空升、奔横、空升、空升、空升、空升、空升、飛車
④歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵
⑤空升、空升、空升、空升、空升、空升、注人、空升、空升、空升、空升、空升、空升

成りは、次のようなものかもしれない。

段目
①金将、金将、金将、金将、金将、不成、不成、不成、金将、金将、金将、金将、金将
②金将、不成、空升、空升、不成、空升、不成、空升、不成、空升、空升、不成、金将
③不成、空升、空升、空升、空升、空升、不成、空升、空升、空升、空升、空升、不成
④金将、金将、金将、金将、金将、金将、金将、金将、金将、金将、金将、金将、金将
⑤空升、空升、空升、空升、空升、空升、金将、空升、空升、空升、空升、空升、空升

 西暦1260年頃の、大将棋は、前回述べた96枚制程度の形と見られ、
蒙古来襲の世相から、龍神がもてはやされて、龍王、龍馬が加わり、酔象
が太子(私の推定では”釈迦”の事)を導入する目的で、復活した。
 駒を空いているところに加えるという着想は、二中歴の大将棋の記載は、
もともと防備録であり不完全というその文書の性格イメージから、省略さ
れた駒の”正当な追加”として容認され、そのパターンでしか、大将棋は
鎌倉時代は、変化しにくかったというのが、私の持論である。
 しかしその例外として、この段階で、酔象を入れるために、横行が端に
移動させられると共に、竪行と角行が考え出され、横行自体も一歩後退で
きるようになったと、見られる。これよりまもなく、奔横は、横行が、下
の段に居なくなったため、奔王という名に変わったとみる。なお、平安時
代の院政期以降は、玉駒として、玉将と王将が、混在していたと考える。
更に、鎌倉時代の戦争は、内戦で土地争いが多いため、スパイの意味の注
人は、土地争い等の調停者の意味の仲人に、取り替えられ、すぐ前升目の
歩兵に利かない角行の、前方に2つへ、中央部から移動したと見られる。

段目
①香車、桂馬、鉄将、銅将、銀将、金将、玉将、金将、銀将、銅将、鉄将、桂馬、香車
②反車、飛龍、空升、空升、猛虎、空升、酔象、空升、猛虎、空升、空升、飛龍、反車
③飛車、横行、竪行、角行、龍馬、龍王、奔横、龍王、龍馬、角行、竪行、横行、飛車
④歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵
⑤空升、空升、空升、仲人、空升、空升、空升、空升、空升、仲人、空升、空升、空升

成りは、次のようなものかもしれない。

段目
①金将、金将、金将、金将、金将、不成、不成、不成、金将、金将、金将、金将、金将
②金将、不成、空升、空升、不成、空升、太子、空升、不成、空升、空升、不成、金将
③不成、不成、不成、不成、不成、不成、不成、不成、不成、不成、不成、不成、不成
④金将、金将、金将、金将、金将、金将、金将、金将、金将、金将、金将、金将、金将
⑤空升、空升、空升、金将、空升、空升、空升、空升、空升、金将、空升、空升、空升

西暦1290年頃に、シャンチー動きの酔象と、猛虎の斜め動きを竪横に
変える等して、猛牛、嗔猪、鳳凰、麒麟が発生したとするのが、私の推定
した108枚制のモデルである、普通唱導集大将棋(私説)である。なお、
猛虎が盲虎に変わったのは、私によると中将棋からである。

段目
①香車、桂馬、鉄将、銅将、銀将、金将、玉将、金将、銀将、銅将、鉄将、桂馬、香車
②反車、飛龍、嗔猪、猛牛、猛虎、鳳凰、酔象、麒麟、猛虎、猛牛、嗔猪、飛龍、反車
③飛車、横行、竪行、角行、龍馬、龍王、奔王、龍王、龍馬、角行、竪行、横行、飛車
④歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵
⑤空升、空升、空升、仲人、空升、空升、空升、空升、空升、仲人、空升、空升、空升

成り(1290年)は、それまでの流れからすると、次のようなものかも
しれない。

段目
①金将、金将、金将、金将、金将、不成、不成、不成、金将、金将、金将、金将、金将
②金将、不成、不成、不成、不成、奔王、太子、師子、不成、不成、不成、不成、金将
③不成、不成、不成、不成、不成、不成、不成、不成、不成、不成、不成、不成、不成
④金将、金将、金将、金将、金将、金将、金将、金将、金将、金将、金将、金将、金将
⑤空升、空升、空升、金将、空升、空升、空升、空升、空升、金将、空升、空升、空升

あるいは、水無瀬兼成の将棋部類抄に、後期大将棋のパターンに合わせる
とすれば、一段目駒等も不成りになり、玉頭3枚を除くと、歩兵以外は、
不成りと言う、次のような変化も考えられる。なお表面の駒種は、基本的
に、1300年以降、それ以上は変化しなかったと、今の所見る。

普通唱導集大将棋の成り、水無瀬兼成/将棋部類抄型(1320年頃?):
段目
①不成、不成、不成、不成、不成、不成、不成、不成、不成、不成、不成、不成、不成
②不成、不成、不成、不成、不成、奔王、太子、師子、不成、不成、不成、不成、不成
③不成、不成、不成、不成、不成、不成、不成、不成、不成、不成、不成、不成、不成
④金将、金将、金将、金将、金将、金将、金将、金将、金将、金将、金将、金将、金将
⑤空升、空升、空升、不成、空升、空升、空升、空升、空升、不成、空升、空升、空升

なお、個人的には麒麟抄の記載からみて、南北朝時代の、最末期普通唱導集
大将棋(1350年版)では、逆に金成が、一時的に増えたのかもしれない
と考えている。私説では原因は、足利尊氏の、守護の重視政策に起因した、
大将棋を指す富裕層の、意識の変化である。
 また具体的な増加は、横行を人と見たのか、飛車も奔車の類と見たかもし
れないという、推定による。猛牛、嗔猪等が、江戸時代の文献の一部に記載
されているように、金将に成ったかどうかは、良くわからない。以下では、
一例として、猛牛と嗔猪も、不成りとしてみた。

普通唱導集大将棋の成り、南北朝時代のみ(1333年~1350年頃?):
段目
①金将、金将、金将、金将、金将、不成、不成、不成、金将、金将、金将、金将、金将
②金将、不成、不成、不成、不成、奔王、太子、師子、不成、不成、不成、不成、金将
③金将、金将、金将、金将、不成、不成、不成、不成、不成、金将、金将、金将、金将
④金将、金将、金将、金将、金将、金将、金将、金将、金将、金将、金将、金将、金将
⑤空升、空升、空升、金将、空升、空升、空升、空升、空升、金将、空升、空升、空升

なお、以上の全ての将棋は普通唱導集大将棋をも含めて、西暦1320年~
1350年程度の間の、中将棋化の流れと、その成立と共に指されなくなっ
た。そして遅くとも、安土桃山時代までには、15升目制の130枚制後期
大将棋が、”大将棋”の名で呼ばれるようになったと見られる。(2017/08/11)

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