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水無瀬兼成の将棋部類抄摩訶大大将棋口伝及び行然写し部に羅刹の無い理由(長さん)

水無瀬兼成の将棋部類抄の最終部分に、摩訶大大象戯口伝という、曼殊院将棋
図よりの写しがあり、摩訶大大将棋で普通の、歩駒、2踊り駒、走り駒では無
い、特徴的な駒のルールの説明集が付いている。なお、同じく将棋部類抄に、
泰将棋の初期配列図があり、その後に、水無瀬兼成が行然和尚から借りて写し
た、図(実際には表に近い)という部分があり、そのうち、鉤行の説明から、
”玉将成自在王”までの説明は、摩訶大大象戯口伝と内容がいっしょと、私は
理解している。恐らく、行然和尚が摩訶大大象戯口伝の、防忘録を自分で作成
したのだろう。将棋部類抄の以上の二箇所には、行然和尚”図”4行目に在る
ように、確かに摩訶大大将棋で普通の、歩駒、2踊り駒、走り駒では無い、こ
の将棋に特徴的な駒のルールの説明が、

羅刹を除いて網羅されている。

では、なぜ羅刹の斜め前動きを、”力士金剛羅刹は、3目踊る。そのうち、
1目2目は踊らず。上記3種類は皆駒を跳び越える。が、鳳凰の単純跳び越え
とは、違う動きである。”等、

力士、金剛の説明の所に、羅刹を加えなかったのは何故なのか、

が、今回の課題である。なお蛇足だが、行然和尚写し部の、3行目~5行目で、
本来最後尾に来るはずの、”其の内1目2目~鳳凰の如くには非ず”の部分を、
中央部に、写本等する間に、誤って挿入していると、私は理解する。行然和尚
写し部の内容が、摩訶大大将棋口伝部の内容と、以上のように訂正すると、
ぴったり合うからである。
 そこで、次に今回の問題に対する回答だが、

将棋部類抄の曼殊院将棋図の”摩訶大大将棋口伝”及び”行然写し部”は、
大大将棋が成立した頃に、成立したルールが記載されていて、それよりも、
かなり前に、摩訶大大将棋が、成立していたことを、この事は示している

と、私は考える。ようするに、羅刹が、5つ踊りの鳩槃に、”摩訶大大将棋口
伝”及び”行然写し部”の時代には、置き換わった直後で目新しく印象的と、
認識されており、

上記部分の曼殊院内部の作者は、古い時代の駒である、羅刹のルールの由来に
ついては、その当時の常識と違っていて自信が無いので、敢えて言及しなか
った

と私は考えると、合うと言う事である。前にのべた、夜叉のルールと関連する
のだが、羅刹も、摩訶大大将棋では、程よい踊り数になるように、動きが適切
に調節された駒だったろうと、私は見る。しかし、大大将棋では、夜叉も対応
する鳩槃も、5踊りに変わっていた。つまり、

摩訶大大将棋の成立時点に於いて、ほどよい踊り数に、夜叉、羅刹のルールが
調節されている事が、忘れさられる程度の時間差が、曼殊院将棋図の”摩訶大
大将棋口伝”及び”行然写し部”の、成立までの間に、恐らく有った

のであろう。
 曼殊院の将棋図自体が、水無瀬兼成の”行然写し部”の追加に見られるよう
に、著作権でいう、オリジナルとの同一性の保存が、安土桃山時代には守られ
ていなかった。そのため、嘉吉年間版が、どの部分までなのかについては、
謎があると、個人的に私は疑ってはいる。ただし、上記の事から、

摩訶大大将棋の方が、大大将棋よりは、どうやらかなり古そうだ

という事は、恐らく確かなのではないかとだけは、私は思っているのである。
(2017/10/07)

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