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現在のタイ人が、玉・金・銀将の将棋を指して、い無いのはなぜか(長さん)

あくまで、このブログ内での立場であるが、唐代から北宋の時代、中国雲南
で、六詔国の一翼をなしたり、南詔国や大理国の支配下にあった、タイ民族は、
すこし後の日本人同様、金将・銀将ないし玉将・金将・銀将という駒が、初期
配列の中央部にある象棋を指す国に、住んでいたと考える。しかし、現在タイ人
は、玉・金・銀が、君主・種・根に置き換わったマークルックや、インドチャ
トランガ系の、王、貴族、象の駒名の将棋を指している。つまり、このブログ
の論旨で行くと、

タイ民族は、もともと日本の将棋と駒名までいっしょの、共通祖先の象棋を
指す国に居住していたが、日本の将棋と異なり、9世紀よりかなり前の、雲南
への象棋伝来から現代までの間に、彼らの象棋駒名を、日本と違って、大きく
入れ替えた

と認識される。では、それが以上の仮説にとって、よくある攻撃法である、
”駒名をわざわざ変える事自体の、不自然であるが故の難点”には、本当に
当たらないのであろうか。そこで回答を書くと、

難点にはならない

と私は見る。すなわちタイ民族のケースは、

タイ人がインドシナに、タイ人の国家を建国したために、置き換わった変化
と考えれば矛盾は無い

と思うからである。そして、その原因はインドシナ地帯が、大乗仏教で無かっ
た事、つまり、自力でそこに建国した事によって

改宗が必要となり、実際、大理時代までの貴族的な大乗仏教から、上座部仏教
にタイ民族内では、中国雲南居住の時代から、インドシナ移住の間に、宗派が
変化した。そしてそれがために、蓄財としての玉・金・銀等を、象棋の駒名と
して、使いにくくなったための、変更

と、私は見る。すなわち

大乗仏教では修行僧が、現世で財宝を持っているかどうかは、たとえば
成仏とは無関係であるが、上座部仏教では修行者の蓄財に関して、根本分裂
の経緯からみて、もともと否定的であり、その差の影響が、大乗仏教から
上座部仏教へ改宗すると、発生するとみられる

という事である。
以上の結果タイでは、象棋で後半成金が、たくさん出来るルールで指す将棋を、
近隣の国のゲームの影響を受けて、じょじょにルールが変化して、必ずしも
そうならないようになるまでの間は、当分続けるとしても、当座成金が多数
できて、修行僧が喜んで指している象棋は、戒律上よろしく無いという事に
なった。そこで成金ではなくて、成種とか、成貴族とか呼ぶように、強制的に
変えられた。つまりは、玉、金、銀は、王、種、根っこにするか、近隣の他の
民族とほぼ同系統の、王、大臣ないし貴族、象に、インドシナ建国のタイでは、
恐らく権威のある僧によって、建国後まもなく入れ替えられたと、私は見るの
である。
 なお、隣国ミャンマーの象棋シットゥインで、兵が副官に1個しか成れない
のも、上座部仏教の上記、修行者の蓄財に上限をつける戒律という、宗教的
理由が背後にあっての事であって、ゲームの改良が理由ではないかもしれない
と、私は疑っている。
 それに対して日本では、許容できる程度に、雲南大理国と日本仏教の宗派は、
どちらも在来大乗仏教系であって、近似していた。そのため、たとえばタイ
民族で起こった、将棋ゲームにおける駒の名称の入れ替えは、以上の経緯では、
伝来以来日本では、ざっとで言えば、ほとんど起こらなかったのではないかと、
つまり私は、以上のように、考えているというわけなのである。(2017/10/28)

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