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12×12升目盤と、囲碁盤の大きさ(長さん)

以下は、中将棋が室町時代に流行った理由としては、幾分ぼんやりと
した話であるが。

中将棋の盤は、結果として囲碁盤とほぼ、同じ大きさになる

という話を、口頭で私は聞いている。私が聞いたのは、どうぶつしょう
ぎカフェいっぷくの、藤田麻衣子女流からである。藤田女流も、恐らく
人づてに誰かから、聞いた話なのであろう。ひょっとすると、天童駒等
を、取り扱っているので有名な、佐藤敬商店の技術者あたりからかもし
れない。佐藤敬商店の東京の営業所は、東京都墨田区本所なので、清澄
白河駅近の、どうぶつしょうぎカフェいっぷくからは、割と近い所に
ある。
 中将棋が15世紀に流行ったのは、主としてゲームの性能によるもの
なのだろうが、囲碁盤を転用しやすいのも、あるいは、一役かっている
のかもしれないと思う。そして当然だが、12と13は、近い数なので、

13升目の平安大将棋の将棋盤は、囲碁盤の表面の盤面の書き直しで、
恐らく転用できただろう

と、私は思う。本ブログでは、平安大将棋の13升目は、偶然の成り行
きとの立場を、今の所取る。藤原一族なら、多少の特注品は入手できた
だろうから、別の升目盤にしていたら、大将棋が停滞したという事も、
たぶんだが無いのかもしれない。しかし、囲碁盤の裏で大将棋をこっそ
り指す、寺院に居る僧侶の賭博師が居たとすれば、囲碁盤でカムフラー
ジュできたことは、鎌倉時代、大将棋を寺で指すには、都合がよかった
のかもしれない。ひょっとすると、禁止令が出て、寺院でも大将棋が
指された証拠が今に残る事に、関係するのかもしれないと思う。

本日は、本題は少なめで申し訳ないが、これくらいにしておく。

 さて以上の話題とは離れるが、高見研究室の「摩訶大将棋のブログ」
が、ここに来て少しずつ、動き出した。

たいへん喜ばしい事

である。この原稿を書いている時点で、「後期大将棋の詰め将棋」の記
事が、記載された所であった。私には、

後期大将棋を復刻すると、金将の成りが奔金、盲虎の成りが奔虎に成る
と書いて有るのを見て、初耳

だった。水無瀬兼成の将棋纂図部類抄では、後期大将棋の初期配列図の
後に、「成り駒は酔象・鳳凰・麒麟の三枚」と書いて有るので、せいぜ
いその他、歩兵が、と金に成る位で、他は、不成りと復刻されるのかと、
予想していたのだが、何処をどうすると奔駒が出るのだろうか。今の所、
ブログに書いて有る事でしか、事情は判らない。簡単にでも、そのうち
”奔駒へ成り”の説明が有ると、なおさら良いのだがと思う。なお
将棋纂図部類抄の、行然和尚まとめ表の、「大将棋駒数354枚」の部
分を、「大将棋駒数130枚」の水無瀬兼成による、意図的改ざんと見
て、「後期大将棋の成りは中将棋の駒の成りに準じる」と再解釈した、
江戸時代の文献も有ると、私は、今の所理解している。(2017/12/04)

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