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ミャンマー象棋シットゥイン。シャンチー砲が導入されなかった訳(長さん)

前回、9×9升目36枚制標準型平安小将棋(持ち駒無し)に、平安末期
の鳥羽上皇の頃、占い駒として輸入されたと、本ブログでは推定している
中国シャンチーの砲駒が導入されなかったのは、歩兵がシャンチーの士よ
りも、ずっと攻撃力の強い、金将に成るため、数を減らす事に、日本の
当時の将棋棋士が、嫌気を感じていたためとした。
 ところで、日本の平安小将棋は、タイのマークルックと類似である。が、
タイのマークルックに、砲駒を導入した変種があるという話は聞かない。
もっとも、タイのマークルックは、本ブログの言う、8×8升目32枚制
原始平安小将棋型の升目である。だから、中国シャンチーのように砲駒を
導入しようとして兵駒(貝)を減らすと、陣形が乱れてしまう。前に、原
始平安小将棋に砲駒が導入されないのも、偶数升目であるため、との論は
本ブログでも、指摘したと記憶する。
 しかし、もっと考えると、これでも話は終わらない。タイのマークルッ
クと、駒の構成が同じで、

初期配列が自由な、表題のミャンマーのシットゥインという象棋がある

からである。初期配列にこだわらないのなら、歩兵が乱れた抜け方をして
いるという理由で、ミャンマーの棋士(モン族)が、中国のシャンチーの
砲を、導入できないという、理由が無いからである。もっとも、バガン国
と北宋には11世紀頃、余り交流が無かったから、たまたま砲は伝わらな
かった、という言い訳が、絶対に無理とまでは、言えないだろう。しかし、
仮に中国の北宋時代の交易商人は、活躍していて、中国北宋原始シャンチー
は、東南アジアに伝わっていたとして、それでも

ミャンマーのシットゥインに砲が無いとすれば、理由は何だろうか。

そこで、さっそく回答から書くと、

シットゥインの副官駒(シッケ)は、もともと金将に近い動きだったに
違いないから

だと私は思う。つまり、初期配列ルールが違っていても、11世紀頃は、
副官のルールが、日本の将棋の金将や、四人制チャトランガルールに
書かれた、幻の2人制チャトランガの大臣の”玉将と同じだが、取られて
も負けでない”というルールに、近かったのではないかと、私は考えると
言う事である。根拠は、ミャンマーの副官に成る”兵”の、現在の成り制
限ルールが、私にはほぼ、意味不明に見えるからである。猫叉の動きでし
かない”成り兵”を、1個しか許さない根拠が良くわからない、という事
である。つまり、

ミャンマーのシットゥインの成り兵が、仮にシッケチュウで幾つでも成れ
るに変えたとしても、ゲームがおかしくなるほど、小駒である猫叉の寄与
は、それほどには無いのではないか

という事である。私に言わせると、この不可解なルールの理由を説明する
ためには、

もともとシットゥインの兵は、猫叉の動きの駒ではなくて、金将の動きの
駒に、少なくとも11世紀程度の昔には成れた

と考えるしか無いように、思う。つまり、ミャンマーのシットウィンも、
タイのマークルックも、そして、現代のインド人の言葉で表現された
”現チャトランガ”も、副官・種駒ないし大臣駒が猫叉の動きになったの
は、シャンチーで、そうなったよりも、かなり後の事なのではないかと、
私は思う。

当てずっぽうで言うと、日本の江戸時代、ムガール帝国の頃

にやっとではないのか。つまり、

ミャンマーのシットウィンに、砲駒が導入できなかったのは、日本の
標準型平安小将棋に砲が導入できなかったのと、もともとは同様な理由

だと、私は考えるのである。前に述べたように、本ブログでは、ミャンマー
のシットウィンの、兵の成りの制限ルールは、上座部仏教が”金品で布施
をもらうことによって、仏教道の修行者が、現世でどんどん、金持ちにな
って行くこと”に、比較的否定的な見方をしているという、

宗教上の理由から来る

のではないかと見る。逆に言うと、11世紀頃の昔のシットゥインでは、
兵が、金将の動きをする副官(シッケ)に、幾つでも成れる、”羽振りの
良いルール”だったのではないのだろうか。
 そして、イスラム系のムガール帝国が、インド亜大陸を支配する頃に、
ミャンマーのシットゥインの副官駒シッケが、金将動きから猫叉動きに変
わったとき、兵の成りも、金将から猫叉に変わり、本来は”シッケチュウ
経過自由成り”で、問題が生じなくなったのだろう。しかし、相変わらず、
副官駒は、副官(シッケ)という名称で有り続けた。そこで、合理的なルー
ル調整で、兵を”シッケチュウ経過単純成り”に再調整する事が、シット
ゥインでは、おそらく不可能だったのではないのだろうか。
 よって以上の事から見えてくるのは、

現在は日本の将棋に、金将としてしか残って居無い、四人制チャトランガ
ルールに、”五番目の王”として登場する、幻の二人制チャトランガの
”大臣駒”は、かつては、日本と、その源の中国雲南だけでなく、インド、
ミャンマー、タイにも存在した、副官駒の、ありきたりのルールだった
可能性が、かなり高い

と言う事だと、私は考えるのである。(2017/12/15)

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