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日本の将棋に鯨駒が有っても、鯱駒が無いのは何故か(長さん)

話は、動物信仰事典(1999)に有っても、日本の将棋駒種に無い
動物の蒸し返しになるのだが。芦田正次郎著「動物振興事典」㈱北辰
社に、シャチが日本人に信仰されていると、書かれている。が、たま
たまだろうが、鯨信仰の話が載って居無い。中将棋に、室町時代の言
葉として存在していたと、辞書に記載された”鯨鯢”はあるのだが、
信仰対象の、シャチホコで著名な、鯱駒は無い。鯨を入れたから、鯱
は、省いても良いと考えたのかも知れないが、大局将棋で、駒名が、
不足した状況でも、たとえば”飛鯱”という駒を入れなかったのは、
何故だろうか。
 そこで、いつもように先に回答を書くと、

駒数多数将棋の盤駒は、後に寺院に保管される例が多かったため、
生臭物の、魚駒の類が、存在したとしても取り除かれた為

ではないかと、私は考える。つまり、五角形駒の後部に切れ込みが
入った、凹六角形の、魚の形を連想するような駒形に、日本の将棋
の駒が、変化しなかったと、前に述べたのと同じ理由だと考える。
 つまり、

魚を入れるにしても、食卓に出てくるのが、”生き造り”に出来る
ような、通常の大きさの海の生き物は、”魚を食べる”を連想する
ためNG

だった、と言う事であろう。鯱は、鯨より小さく、シャチホコの形
から、魚型が連想できる程度で、ぎりぎりの大きさだったので、明
らかに、

肉から、元の形が連想できない程度に巨大な、鯨に取り替えられた

のではないかと思われる。鰹や鯛は、その点で論外だったので、
そのような名称の将棋を、誰かが作成して、亡くなってから寺に盤駒
を持ってきても、寺の方で鰹駒や鯛駒は、処分してから、残りを保管
するという事が、ひょっとすると有ったのかもしれない。だから逆に
摩訶大大将棋あたりの変種で、そのような駒が入った将棋が中世に、
作られた可能性も、有るのかもしれないと私は思う。
 というのも、摩訶大大将棋には摩羯があるし、それと対で鉤行が、
左右の前の方に配置されている。が、鉤行は、鍵ではなくて釣り針が
元ではないかと、私には思われるからである。前段に魚と、それを
釣る道具の一部が、配置されている訳だから、もともとの配置に魚駒
が無くても、だれかがその変種に、鯛とか鰹とかを、更に追加しそう
な気も私にはする。しかし、そのような変形摩訶大大将棋を作成して
も、保管寺は盤駒のうち、魚駒は保管しなかっただろう。そのため、
そのような”魚将棋”は、海に囲まれているにも係わらず、日本では
廃れてしまったのかもしれないと、私は思う。動物信仰事典を見ると、
日本の将棋駒から、魚駒はごっそり削除されているようにも、イメー
ジできる。ので少なくとも、以上のような事が、絶対に起こりえない
とまでは、言えないのでは、ないだろうかと思う。
 他方、

摩羯や鯨鯢は、元々巨大だったので、食卓での”生き造り”のイメー
ジは作れず、そのような駒を寺に置いても、例外的にOKだった

のかもしれないと思う。なお、昨日述べた、動物信仰事典に無い
大局将棋の飛鰐は、ワニではなくて、伝説上の鮫(サメ)の一種、
鰐鮫(ワニザメ)から、来ているようにも、私には思えてきた。
だから、ワニと書かれていても、実態は鮫なのでNGリストに、入ら
ないのかという、問題が生じる。これについては、江戸時代になると、
南西諸島でたまにだが、鰐が漂流して生け捕りにされるような、ニュー
スが、有ったのが、幸いしたのかもしれない。つまりワニが捕まりだ
したため、

鰐駒の場合、鰐という字が、鮫であるような無いようなで、曖昧に
なって来ていた。だから江戸時代の寺院では、食用してはっきりイメー
ジできない謎の駒”飛鰐”は、将棋駒種に加えても”良し”とされた

と言う事だろうか。何れにしても”大将棋が賭博の道具として、禁止
された”という記録が一例ある程度で、史料は少なく、はっきりとは
しないが、

少なくとも日本の駒数多数将棋類は、少なくとも中世頃になると、道
具が有るとするなら寺である、という事が、恐らく多かったのだろう

と魚駒の欠乏からも、推測できるのではないかと、私は考えている。
(2017/12/18)

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