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チャトランガは何故”小国”では指されたのか(長さん)

発見された古文書等の知識により、現在までのところ、チェス・シャン
チー・日本将棋等、もろもろのチャトランガ起源とみられるゲームは、
インドのカナウジを、西暦600~650年頃に支配していたとされる、
都市国家、マウカリ国の宮廷ゲームの、輸出の記述が初出である。
 つまり北インドでも、時代がずれるが、より大国のクプタ朝や、バル
ダナ朝、あるいはイラン人の国とされる、エフタル国起源という話は
無い。南アジア史の歴史に関する、日本の成書の事典類を読む限り、マ
ウカリ国は、カナウジを支配していたものの、バルダナ朝ほどの勢力
ではないし、クプタ国やエフタル王国よりも、小国に間違いなさそうで
ある。では、チャトランガは、クプタやバルダナやエフタルに、記録が
あるという話が、今の所無いのは何故だろうか。
 いつものように、回答を先に書くと、
チャトランガは、国家間戦争の戦略を研究するために作られたものでは
無く、

個別の戦闘の戦術のシミュレーションが、作成のそもそもの目的だった

ためだと私は考える。特定の戦闘だけで、国が倒れてしまうほどには
小さくない国では、少なくとも、

大国の宮廷にとっては、余り関心の無い、地方の将校に任せておけばよ
い事であった

という訳である。より判りやすく言うと、

特定の地域の戦闘で、兵隊の兵力の配分を研究するのが、チャトランガ
が必要になった、そもそもの理由

だったのではないだろうか。しかも、盤面に現されたのは、

特定の戦闘地点に、その兵力を配分したときに、相手の戦力が効率よく
削げるかどうかの、研究のため、一局一局がそれ自身、手作業のモンテ
カルロ法の一試行となるような、模擬シミュレーションとして考え出さ
れたもの

だったではないか。つまり、

重要拠点には、敵国よりも、少し兵力をたくさん置いて、相手の兵力の
削減効率を上げる研究をするため、その”少し多く”が具体的に、
どのくらいにすれば、よいのかを、実際に模擬的にランダム多数回対局
をして、”定数”の数値(倍率または差分人数)を決定する為のもの

というのが、チャトランガ誕生時の姿だったのではないかと、私は考え
ているのである。その証拠としては、

チャス系のゲームで、玉駒を王にしているのは過半数とまでは行かず、
日本将棋の玉将、シャンチーの将を初めとして、将を玉駒にしている

例が存在する事である。この事の中に、約1500年前の歴史の痕跡が
隠されているのだと私は思う。
 実は、そのように考えると、

地方の将の人心を、どう集めるかが問題であって、国土が広くて、
個別の戦闘は、優秀な地方の将軍に任せていた、中国の歴代王朝に
”シャンチーを王宮で指した”という記録が、余り見当たらない

のも、うまく説明が付くように、私には思われるのである。
 そこで、では何で、王駒に紛らわしい将駒が、玉駒としてチャトランガ
系ゲームに共通に有るのかが、問題になると見られるのだが。これにつ
いては、個別戦闘地点兵力変化シミュレーションモデルとしての、
チャトランガの、

欠点を隠蔽するための措置

と、私は見る。つまり初期に行われたと見られる、単に”駒枯れになっ
た方が負け”との、モンテカルロ・シミュレーション・ルールでは

消耗兵力に、大軍対小軍の戦いでも、大軍対大軍の戦いでも、この玉無し
チャトランガのやり方では、さほどの差が出ない

のである。これが実際と違うのは、

前後はさみ打ち作戦が、実際の戦争では有利

である事からも、明らかであろう。将棋のようなゲームでは、頭から
攻め合っても、前後で挟み撃ちにしても、減る駒数は、両軍で差は余り
出ない。しかし、実際の戦争では、はさみ討ちをした側が、勝つ場合が、
多いはずである。このチャトランガの持つ欠点は、真ん中へんに司令官
が居て、その駒が討ち取られたら、残存兵力に係わらず、討ち取られた
方の負けにすれば、一応もっともらしく解決する。こうすると、はさみ
討ち作戦は、実際の戦闘とゲームシミュレーションとで、大差が出にくく
なる。なぜなら、

はさむ方は、外側に司令官(将駒・玉駒)を、置いておけばよい

からである。
 以上の事情で、単にある砦をめぐる、個別の戦闘の戦術研究だった
チャトランガは、後に将駒がしばしば”王”に取り替えられ、国家間
戦闘の、シミュレーションのように、語られるようになったのだろう。
象・馬・車駒に、”整備”されたのも、その頃の後付けだったものと、
私は推定する。
 しかし、もともとは、このゲームの研究を必要としていたのは、
一回の関が原レベルの戦いで、国が浮きも沈みもするような、国土の
面積が、限られる小国に於いてであったに違いない。そのため、冒頭に
述べたように、インドでも、

クプタ朝や、バルダナ朝のような大国では、少なくとも王宮で、
チャトランガを指すような、習慣は発生しなかった

のではないかと、私は以上のように、考えるのである。(2018/01/11)

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