中国シャンチー。なぜ進化開始が晩唐、普及が北宋時代なのか(長さん)
橿原考古学研究所の清水康二氏によると、ものと人間の文化史/将棋Ⅰ
の著者で、遊戯史学会の会長、増川宏一氏が、唐代の宝応将棋を認めた
がらないように、遊戯史界では言われているのは、「象棋型ゲームの中
国への伝来が、唐代になってしまうと、『日本への伝来が、平安時代草
創期ころまでになる』という、元の将棋博物館の木村義徳氏の論の、広
まりを、警戒している為」との事である。ちなみに一般には、シャンチー
の成立は、遅ければ日本で平安大将棋が発生した頃まで、遅れたのでは
ないかという説が今の所強い。なお本ブログでは、宝応将棋が存在する
かどうかに余り関係なく、イスラム・シャトランジが、唐の長安で、イ
スラム系の移民、大食と言われた人々によって、9世紀には確実に指さ
れていただろう、という立場をとっている。根拠は、シルクロードの存
在、唐代のイスラム文化の隆盛、そしてイスラムシャトランジの、少な
くとも本国、アッパース朝での、かなり早い時期からの存在である。
そして更に、そのイスラムシャトランジから中国シャンチーは、改良
を加えると、自然に生成されると見ている。が、以上の事から、イスラ
ムシャトランジが長安で、公知になってから、中国シャンチーが成立・
普及するまで、
ざっと250年は、かかっている計算になる。ではなぜ250年も
改良に、時間が掛かって、成立が唐代でも、五代十国時代でもなく、
北宋の時代にまで、ずれ込んだのであろうか、
と言うのが、今回の論題である。
回答に以下、先に述べる事にする。ようするに、新要素としては、
イスラムシャトランジに砲を加えて、中国シャンチーにするのだが、
当初、11升目ゲームにこだわって、出来のよいものが作れなかった
のではないかと、私は疑う。なお、11升目のプロト・シャンチーにつ
いては、朱南鉄著「中国象棋叢考」という書籍にあり、初期配列図や、
ルールについては、岡野伸氏が自費出版した「世界の主な将棋」(19
99年)で、私は見聞きしている。私には、現時点でなぜ、
唐~北宋期の中国のゲームデザイナーには、砲駒の追加によるシャトラ
ンジの拡張に、こだわる流れが強かったのか、実の所は良く判らない。
ひょっとして、砲という武器の性能が、五代十国末期から北宋時代にか
けて、急激に改善され、象棋ゲームの中に、そのアイテムを加える事が、
流行ったからかもしれないが。しかしとりあえず、
何故だか知らないが、中国の都市部のゲームデザイナーは、アラブシャ
トランジに砲を入れて、より面白いゲームを作ろうとしたと、先ず仮定
する。すると、現実として、
盤升目の調整や砲の入れ方、歩兵の配置変更が、結構難しい
のに、やってみると気がつく。たとえば、岡野さんの著書には、
①砲を外列に加えて、11×11升目32枚制プロト・シャンチー
にしたゲームや、
②砲を馬と車の間に加えて、更に帥/将を2段目に上げた、チャンギの
ような配列の11×11升目34枚制プロトシャンチーにしたゲーム
が、プロト・シャンチーの例として、載っている。しかし、たとえば、
これらのプロトシャンチーの配列を見ると、現在のシャンチーに比べて、
砲と車の単調な攻撃を、より受けやすい、できの悪いゲームになって
いる
と、私は見る。
たとえば、
①のゲームでは、相手砲の三つ前の、後手で言うと、1四と11四の
位置に初手で先手砲は動けるので、ここへ、砲を初手で進めると、後
手の兵のどれかが、只取りになるのが、私でも容易に思いつく。また、
②のゲームでは、相手の砲のすぐに前の升目や、象の同じく、すぐに
前の升目にスキがある。さらには、もっとまずい事に、将を一つ上げ
てから、どちらかの砲も一つ上げ、5手目に砲を将の、すぐ後ろの升
目に移動させると、ただちに相手に王手を掛けられるゲームになる。
以上のように、中国や韓国、北朝鮮のゲーマーなら、どうみるのか、
今の所未調査だが、両方とも余り優れたゲームのように、少なくとも
私には見えない。
だから結局の所、
9×10路の現在の配列のシャンチー・チャンギが、砲と車が攻め駒
のゲームでは配列が良く、特に盤升目は、これ以上増やさないほうが
よい
という、性質のゲームに、砲・車攻撃型のゲームでは、なるのでは
あるまいか。
しかし、初期の頃には、砲は大駒で、一段目に配列するのが自然に
見えた。そのため、11升目や11路のゲームを、作ろうとする傾向
が、しばらく続いたのかもしれない。そして、失敗すれば、
中国の都市部では、イスラムシャトランジの振り出しに逆戻り
の繰り返しだったのでは、あるまいか。その結果、ひょっとすると、
砲を入れればよいとは言っても、それで性能の良いゲームを、実際に
考え付き、かつ皆を、それに従わせるのには、それなりに時間が掛
かったので、
シャンチーはシャトランジからの改良と、一本化と普及に、実際には
約250年もの、相等長い時間を要してしまった
のかもしれないと、私は見るようになったのである。(2018/01/30)
の著者で、遊戯史学会の会長、増川宏一氏が、唐代の宝応将棋を認めた
がらないように、遊戯史界では言われているのは、「象棋型ゲームの中
国への伝来が、唐代になってしまうと、『日本への伝来が、平安時代草
創期ころまでになる』という、元の将棋博物館の木村義徳氏の論の、広
まりを、警戒している為」との事である。ちなみに一般には、シャンチー
の成立は、遅ければ日本で平安大将棋が発生した頃まで、遅れたのでは
ないかという説が今の所強い。なお本ブログでは、宝応将棋が存在する
かどうかに余り関係なく、イスラム・シャトランジが、唐の長安で、イ
スラム系の移民、大食と言われた人々によって、9世紀には確実に指さ
れていただろう、という立場をとっている。根拠は、シルクロードの存
在、唐代のイスラム文化の隆盛、そしてイスラムシャトランジの、少な
くとも本国、アッパース朝での、かなり早い時期からの存在である。
そして更に、そのイスラムシャトランジから中国シャンチーは、改良
を加えると、自然に生成されると見ている。が、以上の事から、イスラ
ムシャトランジが長安で、公知になってから、中国シャンチーが成立・
普及するまで、
ざっと250年は、かかっている計算になる。ではなぜ250年も
改良に、時間が掛かって、成立が唐代でも、五代十国時代でもなく、
北宋の時代にまで、ずれ込んだのであろうか、
と言うのが、今回の論題である。
回答に以下、先に述べる事にする。ようするに、新要素としては、
イスラムシャトランジに砲を加えて、中国シャンチーにするのだが、
当初、11升目ゲームにこだわって、出来のよいものが作れなかった
のではないかと、私は疑う。なお、11升目のプロト・シャンチーにつ
いては、朱南鉄著「中国象棋叢考」という書籍にあり、初期配列図や、
ルールについては、岡野伸氏が自費出版した「世界の主な将棋」(19
99年)で、私は見聞きしている。私には、現時点でなぜ、
唐~北宋期の中国のゲームデザイナーには、砲駒の追加によるシャトラ
ンジの拡張に、こだわる流れが強かったのか、実の所は良く判らない。
ひょっとして、砲という武器の性能が、五代十国末期から北宋時代にか
けて、急激に改善され、象棋ゲームの中に、そのアイテムを加える事が、
流行ったからかもしれないが。しかしとりあえず、
何故だか知らないが、中国の都市部のゲームデザイナーは、アラブシャ
トランジに砲を入れて、より面白いゲームを作ろうとしたと、先ず仮定
する。すると、現実として、
盤升目の調整や砲の入れ方、歩兵の配置変更が、結構難しい
のに、やってみると気がつく。たとえば、岡野さんの著書には、
①砲を外列に加えて、11×11升目32枚制プロト・シャンチー
にしたゲームや、
②砲を馬と車の間に加えて、更に帥/将を2段目に上げた、チャンギの
ような配列の11×11升目34枚制プロトシャンチーにしたゲーム
が、プロト・シャンチーの例として、載っている。しかし、たとえば、
これらのプロトシャンチーの配列を見ると、現在のシャンチーに比べて、
砲と車の単調な攻撃を、より受けやすい、できの悪いゲームになって
いる
と、私は見る。
たとえば、
①のゲームでは、相手砲の三つ前の、後手で言うと、1四と11四の
位置に初手で先手砲は動けるので、ここへ、砲を初手で進めると、後
手の兵のどれかが、只取りになるのが、私でも容易に思いつく。また、
②のゲームでは、相手の砲のすぐに前の升目や、象の同じく、すぐに
前の升目にスキがある。さらには、もっとまずい事に、将を一つ上げ
てから、どちらかの砲も一つ上げ、5手目に砲を将の、すぐ後ろの升
目に移動させると、ただちに相手に王手を掛けられるゲームになる。
以上のように、中国や韓国、北朝鮮のゲーマーなら、どうみるのか、
今の所未調査だが、両方とも余り優れたゲームのように、少なくとも
私には見えない。
だから結局の所、
9×10路の現在の配列のシャンチー・チャンギが、砲と車が攻め駒
のゲームでは配列が良く、特に盤升目は、これ以上増やさないほうが
よい
という、性質のゲームに、砲・車攻撃型のゲームでは、なるのでは
あるまいか。
しかし、初期の頃には、砲は大駒で、一段目に配列するのが自然に
見えた。そのため、11升目や11路のゲームを、作ろうとする傾向
が、しばらく続いたのかもしれない。そして、失敗すれば、
中国の都市部では、イスラムシャトランジの振り出しに逆戻り
の繰り返しだったのでは、あるまいか。その結果、ひょっとすると、
砲を入れればよいとは言っても、それで性能の良いゲームを、実際に
考え付き、かつ皆を、それに従わせるのには、それなりに時間が掛
かったので、
シャンチーはシャトランジからの改良と、一本化と普及に、実際には
約250年もの、相等長い時間を要してしまった
のかもしれないと、私は見るようになったのである。(2018/01/30)
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