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小山義政祈祷寺。埼玉県久喜市鷲宮神社領、旧大利根町円満寺の調査(長さん)

栃木県小山市の、裏金一文字角行出土駒関連の南北朝時代の武将で、小山
城(群)を本拠地としていた、小山義政は、埼玉県久喜市、当時の太田荘に
ある、鷲宮神社の守護者であった。彼は、鷲宮神社の社殿を、再興した記録
が残り、また彼が神社に奉納した、刀が現存する。その埼玉県久喜市の鷲宮
神社には、かつて、埼玉県加須市(旧大利根町)北大桑に、神社の領地が
あり、そこを、小山義政が死ぬまで、彼専用の祈祷所に使用していたという
話を、私は最近webで聞いた。現在は、円満寺という名称の、真言宗の寺
となっており、毎年2月18日前後に祭りがあるという。そしてその時には、
小山義政が拝んでいた、千手観音ともみられる、そこの仏像が、年一回だけ
開帳されるとも、そのwebのサイトでは、紹介されている。
 個人的にこの話は、最近のwebの情報から、初めて気がついた話であっ
た。そのため、”千手観音の開帳”には早いが、気づいて、文献の予備調査
後、ただちに現場へ、様子を見に行って来た。下の写真は、寺の門の傍らに
建つ、近代の作と見られる、寺名を掘り込んだ石柱である。

大利根円満寺.gif

入ると、円満寺の、千手観音の説明書きの立て札が、さっそく目に入る。埼
玉県加須市と、栃木県小山市とは隣接していないが、太田荘をも支配した、

摩訶大大将棋の駒のような、不思議な将棋駒を出土させた、その小山義政に
関連する場所である事は間違いない

事が判る。

円満寺立札.gif

 すぐ横には更に石の板碑があり、寺の説明書があり、中身で重要なのは、

”小山義政の乱後、寺に義政の遺品が奉納された”と書いてある点である。

”毒を盛った匙”とは、矢に塗る道具の事なのか、私には良く判らないが、

概ね武具であって、将棋道具の記載は無い。

縁起.gif

 窓から寺の本堂内部を覗くと、開帳される千手観音とは違って、立像の
代理仏があり、千手観音とは何たるかが、判るようになっていた。また横
に写真のように、馬の木彫の像があった。本堂の内部を、更に良く見ると、

千手観音.gif

馬の模型が、計3~4体あるようで、”左馬介”の名の通り、小山義政の
寺の雰囲気は、馬の彫り物の多さからは、多少感じられた。

 ただし、残念ながら、ここには将棋駒のヒントになるような、物品、
情報は、表面を眺めた程度では、みつからないようだ。

 またこの寺の周囲には、工場用地が隣接しているようであるが、今の所
静かであった。場所は東武伊勢崎線の、花崎駅に近い所で、散歩がてらに、
行く所としても、一応手軽な場所だと考えられる。(2018/02/16)

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