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水無瀬兼成は”王将駒”を、書いた事が無いかも(長さん)

少し前に、本ブログで、安土桃山時代の将棋駒書家で、藤原氏一族の
水無瀬兼成が、自身の著書の将棋纂図部類抄の将棋駒配置図で、王将で
良いケースに、全部”玉将表現をしている”との旨の、指摘をした。
 その時点で、彼が書いた駒については、ユーザーの要求により、王も
玉も有るのだろうと、私は漠然と考えていた。しかし最近、手元に有る
資料を当たったところ、そうとも言えないと、思うようになった。

水無瀬兼成の書いた将棋駒で、王将と書かれた物が簡単に見つからない

事が判ったからである。
 たとえば、増山雅人氏の著書「将棋駒の世界」(中央公論新社)
2006年に、水無瀬兼成筆の中将棋の駒が、カラーで記載されている。
が、その駒の玉駒は、不成り玉将と、書かれている。
 また、増川宏一氏の将棋Ⅰ(法政大学出版局)1979年に、「日本
の美術」よりの転載として、水無瀬神宮所有の、日本将棋と中将棋の駒
の、ランダムな混ぜ合わせの写真が掲載されていて、その中に玉駒が2
枚入っているが、両方とも玉将(双玉型と言うそうだ)になっている。
 なお、下は水無瀬神宮の水無瀬兼成作の玉駒だが、水無瀬兼成の名が、
”実質的に”入った写真の駒は、確かに王将ではなくて、玉将である。

水無瀬駒.gif

 ひょっとして、水無瀬兼成は、将棋纂図部類抄で、王将表現を全くし
ないだけではなくて、自身の

書いた将棋駒にも、王将は全く無い

のかもしれないと、私はだんだん疑うようになって来た。
 なお、私は将棋駒の収集家とは、全く繋がりは無いので、以上は確定
的では無い。断片的な持っている知識によると、この他の水無瀬兼成作
成駒では「某財閥かその関連者が、相続税の処理の際放出した」と、
将棋遊具に詳しい、鵜川善郷氏から教わったケースを知っている。この
水無瀬兼成作の別の駒は、現在福井市の材木商の方が、所有されている
という。
 この個人の水無瀬駒は、テレビ番組「開運何でも鑑定団」に、8年位
前に出展されたものである。webで検索すれば、今も情報が出てくる
ようである。当然だが鑑定で2000万円前後と、べらぼうに価値のあ
る将棋駒セットと評価された。なお福井市という町の名から、私には、
下総結城氏が徳川氏に江戸初期に取り込まれて生まれた、越前松平藩の、
そのまた殿様の末裔の女性と結婚した、現天皇家とも繋がる、住友財閥
の御曹司の名が連想される。そもそも、福井市と住友財閥とは、母系の
先祖の江戸商人が、出が越前松平藩のある福井である等、複数の関連性
が有るようである。ので、

その水無瀬兼成駒は、住友財閥(将棋道具関連は父系)によって恐らく
保存された、”室町時代の最後の将軍、足利義昭を供養した縁者の遺品”
として、江戸初期から伝わるもの

と想像される。ただし私の上記の説明がもし間違っていたら、住友財閥
には、ごめんなさいと平謝りであるが。なお、三井財閥も、物持ちで有
名だが、紀州徳川家とは繋がっていても、福井市とは、余り繋がらない
ように思える。何れにしても、手元の史料以外も当たって、

水無瀬兼成将棋駒類の、王将駒不在の謎

については、手の空いたときにでも、更に調べてみようとは思っている。
(2018/03/14)

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