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将棋で”将碁”という表現を使うのは、藤原姓の人間の特徴か(長さん)

大阪商業大学アミューズメント産業所編、松岡信行著「解明:将棋伝来
の謎」(2014年)に、”古文書で将棋を『将碁』と表現するのは、
古い表現”との旨の記載と、一覧表が載っている。ここでは、その一覧
表の著者名という項目に着目し、現代において、「藤原」が、その人物
の、苗字であるかのように呼ばれる人物は、”将碁”という字を使うと
仮定し、その原因を考えてみる。なお、表によると、60余り挙げられ
た著作物に関して、”将碁”を使う、苗字的人名の藤原氏としては、
藤原行成、藤原明衡、藤原頼長、藤原定家の4名だけが挙がっている。
また逆に、表で藤原と書かれていて、他の字を使う人物名が載ってない。
逆に、藤原以外が「苗字」なのに、『将碁』を使う例外として、
当世武蔵野俗談の馬場文耕が、『将碁』を使っていると、いう事である。
言い忘れたが、現代人は碁を、囲碁の碁として使う。将棋の駒で、特に
玉将が、木の板ではなくて、もともと石系であった事を連想させる、
言わば、「藤原さんの仲間内漢字」のようにも、私には見えるものであ
る。なお表のこの見方は、本ブログの独自印象読みであり、著作者の
松岡信行氏は、”藤原”には特に着目しておらず、”麒麟抄の元本が、
平安時代11世紀である根拠”であるとしている。すなわち本ブログで
は、表のうち、

西暦1129年の長秋記の源姓、源師時の将棋表現が、”将碁”には
なっておらず、”将棊”になっている点を、重大視している為

松岡氏とは、松岡表の見方の切り口を、変えているという事である。
 そこでまずは、本ブログ流の認識で行くとして、”将碁”という表現
が、平安時代から鎌倉時代にかけての、藤原姓・貴族言葉であったか
どうかについて、見解を述べる。答えは、

有り得る(yes.)と私は見る。

ただし、ローカル表現だったので、社会の趨勢に押されて、後代の藤原
氏も、使用しなくなったと同時に私は見る。安土桃山時代になると、
水無瀬兼成も、将棋を”将碁”とは書かなくなっている。また、二中歴
の大将棋の将棋が”将棊”なので、

藤原定家の時代に既に、大将棋を載せて居る事から見て”藤原びいき”
と私には疑われる、二中歴の三善為康ですら、方言としての”将碁”
の字は、使わなくなっていた

ようである。
 なお前に本ブログで紹介した、台記(”古事類苑”抜粋)と、「解明:
将棋伝来の謎」に写真で載っている”台記”の将棋の字は、合って居無
いことが判った。
 そこで台記の大将棋が、二中歴大将棋であるという根拠は、よって

こんなおかしなゲームを記載しているのだから、三善為康らは藤原頼長
を尊敬していて、同じ将棋を紹介したに違いない

とするより、今の所はっきりとした理由を指摘できなくなってしまった。
残念な事である。
 またこのように、平安時代以降の藤原姓の貴族以外、余り正字として、
使用した形跡の無い”将碁”という字だが、増川宏一氏が、著書”、
ものと人間の文化史「将棋Ⅰ」”で、中将棋の初出文献として著名な、

南北朝時代の遊学往来の、系列本の一つと見られる、新撰遊学往来に、
”将碁”の文字が使われている

と、”凡例”の所で紹介している。ただし、岡野伸氏の自費出版書の、
「中将棋の記録」(2004年)の、”遊学往来”の写真の”大将棋、
中将棋”は、”棊”となっていて、増川氏の著書と話が有って居無い。
 以上の事実を総合すると、平安時代に将棋が”将碁”と、藤原姓の貴
族は、ローカル表現していたという、事情と情報が、南北朝時代頃まで
は、残っていたのではないかと、疑える事だけは確かであろう。つまり
本人に、なりすまそうと、努力している

麒麟抄の偽藤原行成が、”藤原行成なら将棋は『将碁』と書く”という
事実と、原因となる事情に関する情報を、南北朝時代には知っていた

事だけは確かなのではないかと、私は想像している。本ブログの見解で
は、ようするに、8升目型の原始平安小将棋から、9升目の標準平安小
将棋が院政派によって作られたときに、それを不服に思っていた藤原摂
関派は、独自に、平安大将棋という、藤原将”碁”文化を、平安時代後
期に作っていたという意味であろう。そもそも、8升目型の原始平安小
将棋が伝来したのも、もとはと言えば、三条天皇の住居が火災で焼けた
ので、金・銀の装飾品を北宋交易商人の周文裔らに依頼した、当時の首
領、藤原道長の行為が発端でもあったと、少なくとも本ブログは、みな
している。以上のように、将棋史において藤原氏自身が、藤原一族を、
その中心的存在と位置づけ、その象徴として「我々藤原一族は、将棋は
”将碁”と書く」と、一族内ではそれで通じる、ローカル用語を示して
見せたのが、すなわち、”将碁”という、書き方表現だったに違いない。
そして日本の

南北朝時代には、一例として上記のような、”日本の将棋前史”がまだ、
誰にでも思い出せる状態

だったのだろうという、これは根拠の一つではないかと私には疑われる。
(2018/04/02)

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