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普通唱導集時代の大将棋。どうして中将棋に取って代わられたのか(長さん)

本論題についてはこれまで、本ブログでは次のような見解を取ってきた。
すなわち、

(1)特別な規則付きの元駒として獅子の有る中将棋の、ゲームとして
の面白さに駆逐されて、大将棋は、本質的に普通唱導集時代の大将棋を以
て、駒数多数将棋の主力の座から退いた。

 なお普通唱導集大将棋自体にも、端攻め定跡と、その防止手段としての、
仲人と嗔猪と桂馬で作る、中間陣作りのあまりに顕著な定跡化という、内
在する欠点が、そもそも有る事をも、既に本ブログ内では、何回か指摘し
ている。それは、多分に因縁めいているのだが、普通唱導集の大将棋で唄
われた、唱導文の内容、そのものであると言うのが、本ブログの主要な見
解である。
 しかし本ブログで最近、普通唱導集時代の大将棋の2段目には、陰陽道
の鬼門と関連する、猪、牛、虎、龍駒が、それぞれ、嗔猪、猛牛、猛虎、
飛龍の、4枚セットで存在する事を、明らかにした。そのため今回の論題
についての回答は、結論的に述べると(1)に加えて、次の(2)の原因
があったとしか、考えようがなくなったと考える。すなわち、

(2)嗔猪、猛牛、猛虎、飛龍を、大将棋から1種でも減少させるような
変更が、出来づらくなった。つまり、それを実行しようとすると、既成の
棋士勢力等から、反対されるようになった。その結果、ゲームとして、
難が有っても、それ以上に初期配列や、構成駒種を替えにくくなった

という要因が、これに付け加わった。
 そこで本ブログに於いては以降、冒頭で述べた(1)の要因だけでなく、
(2)の要因をも、大将棋が、南北朝時代から室町時代にかけて、中将棋
に駆逐されてしまった、根本原因と考える事にしたいと考えている。
 次に(2)が考えられるという、根拠について述べる。
 実際本ブログでは、

嗔猪を取り除いて、方行を加えれば、現在の西洋チェス型の、”複雑な
大駒同士の絡み合いで、ゲームが面白くなり、中将棋に負けることはない”

はずだという例を示している。嗔猪、猛牛、猛虎、飛龍の、陰陽道の鬼門
に関連した四つ組駒が存在するという事実に、少なくとも、私は気がつい
ていなかったために、このように考えたのである。そのためこれまで、

大将棋の内部だけで、欠陥を改善する方法が、あるように見えるにも係わ
らず、中将棋に勝てなかったのが謎

と写っていたのだ。しかし、陰陽道に傾倒している南北朝時代の棋士達か
ら、嗔猪を取り除いて、猛牛、猛虎、飛龍の3種類だけを残すやり方につ
いて強く反対されれば、本ブログの改善方法が、取れないと考えられる。
 以上の事から、 
 普通唱導集の大将棋時代には、陰陽道が強かった。そのため、方行を加
えて、嗔猪を削り、3行駒-4鬼門守備駒制から、4行駒-3鬼門守備駒
制に変える事も、また実は、後期大将棋のように、将駒に石将を加えて、
5将を6将にする事も、実際には南北朝時代には難しかった。そのため、
普通唱導集時代の大将棋については、ゲームを面白くするという目的だけ
では、実際には改良困難だったと、結論できるのではないかと、考えられ
るようになったのである。(2018/04/13)

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