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大鏡で後一条天皇の玩具話を確認した(長さん)

松岡信行著「解明:将棋伝来の謎」(2014)記載に紹介の有った、
後一条天皇が与えられた玩具のうち、藤原行成の回しコマにだけ興味を
示した話を、実際に大鏡で私も最近確認した。

見出しで”後一条天皇”の所ではなくて、藤原行成の祖父と聞く、
第3巻の見出しが”藤原伊尹”の所に記載

されていた。本ブログにとって最大の注目点は、西暦1015年の、
三条天皇の住まいの、相次いだ火災の後の方との関連で、西暦1019
年までの、”玩具”の保管場所なのであった。が、
 少なくとも将棋具が入る方と見られる、その他大勢の玩具については、

”後一条天皇は、その他大勢の方の玩具は、籠められにけり”と、古文
形式にすると大鏡には記載されている

ようである。なお、今回参照した文献は「新潮日本古典集成」の大鏡、
校注者が石川徹。発行は新潮社(2017)である。
 つまり幸い”蔵に行った”といったように、保管場所までは、書かれ
て居無い。また、籠められた玩具は、藤原行成献上のコマ以外であって
多数あり、大鏡の文面を読む限り、その、その他大勢の玩具には、

”黄金”と”銀”とその他の材料で、立体意匠が、必ず工夫されていた

とあるようだ。また献上は、元々は後一条天皇の”玩具希望”の詔であ
り、それによって、各玩具の製作が開始され、多数の人間によって、多
数の物品が、献上されたものとの印象を与える、書き方となっている。
 なお大鏡では、藤原行成の話題がその後も続き、上記後一条天皇の玩
具話に続いて、どの天皇なのかは不明なようだが、一条天皇ないし後一
条天皇等へ献上された、藤原行成の扇子の話が、大鏡には載っている。
 この話と、後一条天皇の玩具(コマ)の話は、セットのようである。
すなわち扇子の話の最後が、「いづれもいづれも、帝王の御感侍るに
増す事やは、あるべきよな」という文句で結ばれていて、後者の扇子話
でだけ出てくる献上品の材料も、後一条天皇の玩具の原材料を理解する
うえで、参考になりそうである。
 具体的には、材質だが、玩具話では黄金、銀の他は、その他となって
いるだけだが、扇子話では、”金・銀の他として、熱帯産の香木、イン
ド産の木材を使い、蒔絵・象嵌を意匠的に施して、作成した”となっ
ている。何らかの”香りのする”木を成形した玩具用材料が、黄金と銀
のほかに、有ったのかもしれないと、明らかに読み取れる。つまり、

それが将棋の駒だとすれば、香車や桂馬には、香りがしたという事だ。

 次にそもそも大鏡では、藤原行成の工作の逸話で、似たような例を、
2つ出すことによって、後一条天皇時代の朝廷内では、支配者層が、
黄金、銀、外国製香木材の彫刻品等で、遊戯をする事が、そうでない場
合よりも、多数派的である事を、強く印象付けるような、書き方になっ
ている。特に、扇子話では玩具話と異なり、金・銀材料を、献上品の扇
子に使わなかったのが、藤原行成ただ一人と、はっきり記載している。
 何れにしても当時の朝廷”一条帝サロン”では、コマの形の奇妙さ、
使用中の姿の奇妙さが尊いと感じるのは、藤原行成と、当の贈答された
側の一条・三条・後一条天皇位の、少数派であったようである。
 さて扇子の話では、黄金、銀、熱帯産の香木、インド産の木材を使っ
て彫り物をした上で、理由の例としては、外国の入手しがたい書物が、
出典の為、知る者も少ない歌や(漢?)詩を書いたり、国内の景色の絵
を描いたりして、天皇へ贈答した品である扇子が、多数あったと書かれ
ている。すなわち、手に入りにくい書物の収集が、趣味だったとされる、
藤原道長が、当時の朝廷内の文化の多数派の代表の一人である事を、こ
れは示唆する内容のように、私には思える。
 それに対して、天皇と藤原行成からなる少数派は、中国古代の楽譜を、

扇子の表には、楷書で、裏には同じ内容を、草書で書いたものを作り、
書体の差による、字の形の変化を楽しんだ

とある。内容は、これを五角形将棋駒に置き換えると、麒麟抄の将棋の
駒への字の書き方と、同じである。ただし、麒麟抄の将棋駒の書き方の
ように、

こうした楽しみ方を、標準であると大鏡では少なくとも強調していない。

藤原行成の、一風変わったアイディアを、奇抜な物で、”天皇にはさす
がに判るものだ”というスタンスで、紹介しているように、少なくとも
私には読める。つまり、麒麟抄の”藤原行成の将棋駒”ように、多数派
を自認した、教育的な話の進め方になっていない。

 従って大鏡には、藤原行成と麒麟抄との繋がりが、悪い事を示唆する
内容が書かれていると、みるべきなように私には思える。

 つまり大鏡の藤原行成献上の扇子の話は、南北朝時代に、大鏡のこの
部分を読んで、なりすましのニセ藤原行成が、将棋駒の書き方の話へ、
大鏡を深く読む事無しに、題材を真似ただけである事を、強く示唆す
るように、私には読めた。
 以上まとめると、大鏡を読む限り、

当時の朝廷では、藤原行成が一人でがんばっていても、朝廷で最初に
使用される将棋の玩具が、黄金や銀製や外国産の香木に、意匠や蒔絵を
施した立体的将棋駒である可能性が、最も高かった。だが後一条天皇は、
藤原行成と同じ、表が楷書で裏が草書で、文字が書かれた物品を尊ぶよ
うな少数派側に、たまたま立っており、黄金の将棋具等の使用は、それ
が存在したとしても、せいぜい一回限りで、終わってしまったようだ

という想象を、強くかきたてる内容のようであった。(2018/04/16)

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