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明治時代松浦大六氏の象戯図式。”鉄石狼猪猫龍牛金成も”の理由(長さん)

今回は前回に引き続き、後期大将棋の駒の成りのルールについて議論する。
 さて法政大学出版局の増川宏一氏著、ものと人間の文化史「将棋Ⅰ」
(1977年)に、明治時代の1903年に、江戸の将棋宗家に興味をもっ
ていたと伝わる、松浦大六氏が写した、象戯図式の、15升目130枚制
後期大将棋のルール図が、そのまま収録されている。
 前回述べたように、江戸の元禄時代に成立したとされるこの著書でも、
安土桃山時代の将棋纂図部類抄同様、後期大将棋の駒の成りは、酔象、麒麟、
鳳凰の3枚と、初期配列図の後に続く図の部分で説明されている。つまり、
水無瀬兼成の将棋纂図部類抄と、基本的にはその点で、内容が変わって居無
い。
 ところがその後に、中将棋には無くて、大将棋に有る駒、すなわち、
鉄将、石将、悪狼、嗔猪、猫叉(刄)、飛龍、猛牛の駒の動かし方のルー
ル図が有るのだが、その頭書きに”以下は不成りの駒。相手陣に入ると
成りは金、又は不成り。”との旨、

主旨が、チグハグな内容が書いてある。

これをどう解釈すべきか、というのが今回の論題である。
答えを先に書くと、江戸時代の別の将棋書等、

別の情報が私には無いので、残念ながら今の所、私には良く判らない。

が、もしかすると、江戸時代の原文には”以下は不成りの駒。相手陣に入
ると不成り。”と、判りやすく書いてあった。そして

明治時代になって”成りは金、又は”を、後代の人間が、書き加えたの
かもしれない

と私は、疑っている。
 理由は、前回述べたように、江戸時代の将棋書が古くなることによって、

後期大将棋の中将棋成りは、近代になってから、成立したのではないか

と、今の所、私は疑っているからである。
 なお、この加筆に対する疑いの根拠としては、明確なものではないが、

この部分だけ、文面にカタカナの数が多い(4つ。他は多くて一文に1つ。)

という事実が、一応挙げられる。
 では近代になって、中将棋にも後期大将棋にも、両方ある駒が中将棋の
成りになると、どうして、後期大将棋にしか無い駒が金に成るようになる
のかだが、私は次のように考える。近代には後期大将棋を指すとき、足り
ない駒は、中将棋から持ってくるという習慣が定着した。その結果今度は、

日本将棋と後期大将棋には有り、中将棋には無い桂馬を、日本将棋の駒で
代用する習慣も同時に発生し、明治時代にまもなく定着したのではないか。

 後期大将棋は、少なくとも近代には、日本将棋や中将棋ほどには、指さ
れなくなっている。だから、倹約家の日本人の性格もあり、よほどの金持
ちは別として、たまに、後期大将棋を指すためだけに、すべての駒を特注
して作る事は、将棋が大衆化してくると、もはや行われなくなったのであ
ろう。そのため、”大将棋を指す”ときには、後期大将棋の桂馬を、日本
将棋の桂馬で代用する事も、行われたのではないか。何れにしてもそうす
ると、桂馬は不成りで無くなってしまう。ので、比較的動きの小さい、表
題の

鉄将、石将、悪狼、嗔猪、猫叉(刄)、飛龍、猛牛だけを、たまに駒師に、
特注して作られるときには、桂馬にバランスを合わせて、成りを金にする
ようになった

と私は推定している。つまり、明治時代に書写された松浦大六氏の
象戯図式には”中将棋にある後期大将棋の駒は、成りが中将棋式である”
との旨の記載は抜けているものの、

たまたま、松浦大六氏の時代に、何者かが”鉄将、石将、悪狼、嗔猪、
猫叉(刄)、飛龍、猛牛は、成りは金、又は不成り。”と、金成りのケー
スを書き加えたために、柱書き”不成り”で内容の一部が”金成り”と
いう、文書としてチグハグだが、時代の異なる成りの規則が、並存して
記載されている

のかもしれないと、江戸時代の将棋書の古文書の情報の乏しい私は、今の
所、個人的に想像しているというわけである。(2018/05/01)

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