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二中暦大将棋後の”緩子立21352241131221”は何者(長さん)

天童市将棋資料館が2003年に発行した、「天童の将棋駒と全国遺跡
出土駒」には、将棋駒の出土史料の他、たとえば二中暦の、将棋・大将
棋の記載(加賀藩。前田家写本)が、原本のまま載っている。編集の関
係か、理由は不明だが、上記成書の、将棋・大将棋(二中暦。前田家写)
で記載されている、不明10文字文「如是一方如此行方準之」の後には、
それに続いて、むしろ私には、不明10文字文よりも、更に意味がわか
らなかった、表題の表現が、「天童の将棋駒と全国遺跡出土駒」には、
項目として二中暦の将棋・大将棋の内容の一部として、記載されている。
そこで今回は、最近入手の「天童の将棋駒と全国遺跡出土駒」の入手時
から謎だった、

”緩子立(改行)「2」1352241131221”とはいったい
何者なのかについて、大将棋との関係について、解明を試みた

ので、自分の個人ブログでのみ、結果を報告する。
 結論を述べると

”継子立”という数学パズルの説明なので、将棋や大将棋とは関係ない

事が判った。数学パズルに詳しい方が、「天童の将棋駒と全国遺跡出土
駒」の、この部分を読んでいたとしたら、ただちに解読できたと見られ
る。そのため、上の内容の紹介は、ブログのみで、充分と見られる。
 では、多少補足的に解説する。
 まず二中暦には、正確に言うと、表題のようには記載されて居無い。
”緩子立(改行)「2」1352241131221”ではなくて、
”緩子立(改行)「短い一」1352241131221”と、記載
されている。”二”が、前田家が書写した原本で、たまたま、第2画
が、切れていたものと、私には推定される。
 しかし広辞苑で、数学ゲームの”継子立”が引ければ、”「短い一」
1352241131221”は、本当は、

”黒2白1黒3白5黒2白2黒4白1黒1白3黒1白2黒2白1。その
後、最初の黒2の2子が、また来るように、円形に並べる。”

の意味である事は直ぐに判る。なお、この継子立(ままこだて)では、
頭の黒2の先頭の黒石から、それを含めて1、2、3・・・と数え、
10の所の石を取るという、10取りルールの場合のようである。広辞
苑の説明では”次いで取った次の石から、それ自身を含めて10まで数
え、10の所の石を取るを続けてゆくと、白石だけが排除されてゆき、
最後に黒石だけが、残る”とある。この継子算は江戸時代に、より一般
的な解が和算家によってもとめられ、特に知られるようになったという。
 なお、二中暦の字は、継子の継が、”緩”になっていて字が違う。

これについては、経緯は今の所、少なくとも私には、良く判らない。
”緩子”という熟語は、漢和辞典を引いても出ていない

と私は思う。
 よって継子立という数学パズルの説明と見られたが、緩子立という単
語が謎なために、

天童市将棋資料館の編者も、将棋の説明の所に、たぶん警戒して入れた

のだろう。
 よって二中暦の大将棋の説明は、不明10文字文「如是一方如此行方
準之」の所で、終わっていると見て良いようだ。
 追記。wikipediaを読んでいたら、継子立の初出は”鎌倉時
代末の徒然草”と、なっていた。しかし、二中暦は鎌倉時代草創の作な
ので、本ブログの記事が正しいとすれば、平安時代末には既に”継子算”
は、公家の教養知識だった事になる。(2018/05/05)

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