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チェス系。歩兵だけ成りは何故。水無瀬・後期大将棋と関連する?(長さん)

今回の論題は、2つある。一つは、インドチャトランガ以来、日本以外の
チェス系ゲームは、歩兵だけ成りで統一されている理由。および、水無瀬
兼成が記載した、後期大将棋では、太子成り酔象、獅子成り麒麟、奔王成
り鳳凰を除いて、鎌倉鶴岡八幡宮出土駒を参考にすると、歩兵しか成らな
いのは、ひょっとして、1443年以降の室町時代から安土桃山時代の、

比較的新しい時代の大将棋の成りは、外国ゲームの成りルールの影響を、
少なくとも、部分的には受けているのか否なのか

という点である。まずは、後者について回答を書くと、ある程度

受けていると思う。ただし、シャンチーやチャンギの影響の方が、日本の
地理から見て強かろう

とみられる。
根拠だが、そもそも大将棋の13升目盤を15升目盤にしたのも、古囲碁
盤は17升目との、中国元・明代の、聖目と、盤升目の関係に関する情報
が、元だったのだろう。だから、シャンチーやチャンギの最下段駒が、成
らないルールであるという、中国の象棋のルールの知識が、鎌倉時代末期
からは入ってきていたと、考えざるを得ない。元王朝はイスラム圏を巻き
込んでいて、その文化も、交易が盛んになれば、日本に入ってくるだろう
と、推定せざるを得ず、チェス・象棋ゲーム類に、

歩兵以外の成りがあるゲームが、外国には無いという、淡い情報位は、
室町時代早期に、日本にもたらされていても不思議ではない

と、私は思うからである。

ただし、今の所、南北朝時代の大将棋の成りに関する、事実認識自体も、
ぼんやりとしたものであり、この程度の根拠と議論しか、目下の所は、
できないだろう

と、私は思う。
 それに対して、もう一つの論題の、チェス系の歩兵だけ成りの理由につ
いてだが。少なくとも私には、

四人制時代の二人制チャトランガで、そのようだった理由については、
全く判らない。

馬が敵陣で、副官に成っても、よさそうなものであるが。インド人に、そ
うした発想が無い理由は、私には全く不明である。むろん立体駒だから、
成りを表現するのに工夫がいるので、日本の将棋よりは、条件が悪い事は
確かだ。
 そもそも、それが強力な理由に基づくもので無い事は、インドから、
スリランカ、ペグー、ピュー、南詔と伝来して成立したものと、本ブログ
では推定する、玄怪録の将棋の元ネタの、南詔国原始平安小将棋(不成り
象が2枚で飛車動き)の成りから見て明らかであろう。すなわち、このゲー
ムで、馬と車も、金将動きの銀将に成ると、元駒の行き止まり動きから
推定して、そうなるとみられるのは、原始インドチャトランガの、兵だけ
成る伝統よりも、鉱山王国の、貴族の象棋に相応しい、銀の塊が、中盤
盤上に並ぶルールにする事を、より優先させているためと、推定できる事
から見ても、明らかなのではないかと、私には思える。
 それに対して、イスラム・シャトランジ以降の、チェス系については、

”兵以外は、不滅の天体”という、駒は星辰(惑星)に則るという思想が、
8世紀末以降に西アジアに広がれば、兵以外は相手陣奥で、別の駒に
変わるという発想が、インドの原始チャトランガよりも、起こりにくく
なる事だけは、確か

であろうと思う。西洋チェス系については、相手陣で成る”兵”以外の、
最上段には無い駒の意味が、”民”を超越した存在というイメージの方
に、時代が下るに従い、より傾いていったのだろう。そのため、動きも
上下対称だし、成って、別の駒に変化する事も、ほとんど無くなっていっ
たと、考えざるを得ないと思う。外国のゲームは、少なくとも日本より
は皆、イスラムシャトランジの影響が強いと、私は認識する。ので、前記
”日本に伝来する前の、原始平安小将棋”の歩兵以外の、馬と車または
船の成りは、大理国からタイのムアンに、モンゴル帝国成立時に分布が
南下しながら継承されるときに、タイの古マークルックになった時点で、
隣国他国の象棋文化に吸収されて、結果としては、消えていったのだろう。
 しかし、この点に関する日本での模倣は、中将棋に、成りが多い点から
みて、事実としては限定的だった。ゲーム性を追及する時点で当時の日本
人は、裏に字の書ける五角形駒を、使っていた事もあって、少なくとも
中将棋に関しては、

影響度が当時の日本人にとって余り強くないと見られる、成りに関する
”国際標準”を、厳格に守る

ようには、現実ならなかったと、みられるのである。(2018/05/24)

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