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岡野伸著「中国の諸象棋」の晁補之”広象棋”のルール情報(長さん)

前々回等に紹介した、将棋類のゲーム研究家の岡野伸氏による、
「改定 中国の諸象棋」(2018)には、本ブログでは、
異制庭訓往来”大きい将棋”に当たると見ている、晁補之(晁無咎)
の19×19升目98枚制広象棋の、より詳細な情報が載っている。
 ただし、内容は初期配列型に関する断片的なもので、駒の構成も
不明だ。
すなわち、最下段中央の先手では10の十九、後手では10の一の
位置を中心として、袖に向かって最下段は13枚(左右袖3目は空
きになる)、2段目は11枚、3段目は9枚・・と続いて、7段目
が中央の先手は10の十三、後手は10の七に、駒が一枚だけ並ぶ、

七国将棋の2国しか無いような、ピラミッド型の駒配列

になると、いう事である。その結果、双方に49枚づつの駒が、
存在する事になる。
図に描くと、以下の感じになる。
口口口口口口口口口駒口口口口口口口口口
口口口口口口口口駒駒駒口口口口口口口口
口口口口口口口駒駒駒駒駒口口口口口口口
口口口口口口駒駒駒駒駒駒駒口口口口口口
口口口口口駒駒駒駒駒駒駒駒駒口口口口口
口口口口駒駒駒駒駒駒駒駒駒駒駒口口口口
口口口駒駒駒駒駒駒駒駒駒駒駒駒駒口口口
 ただし、

駒の構成が全くわからないので、どんな駒が、どこに配置されるの
かは、さっぱり判らない

らしい。また、この情報が載っている、元文献も、岡野氏の著書に
は、はっきりとは載って居無い。本当に、西暦1080~1100年
前後に考えられた、オリジナルかどうかは、私には判断できない。
 なお、駒構成ははっきりしないのだが、これが少なくとも、まとも
なゲームだとすれば、

歩兵駒は無さそうだし、ピラミッド配列の外側に角行型の走り駒があり、
中央の背骨にあたるところに、飛車型の走り駒、最下段の中央に玉駒、
その左右に、侍従の小駒、玉のすぐ前に、ひょっとしたらシャンチー
の砲が、あるかもしれないという程度までは、確か

なように、私には思える。七国将棋で、八方桂馬型駒の騎、弓、刀は、
今述べたように、表面を構成する角行に、剣や牌は飛車に動きが変わっ
て、七国将棋がやや単純化した感じのゲームだろう。そうだとすれば、

陰陽道とか、惑星の動きとの関連といった、ある種の思想には、余り
関係なく、純粋にゲーム性のみを追及した象棋

とのイメージになるのかもしれない。つまり、

ピラミット配列にすれば、豊臣秀吉将棋のように、この場合は、走り
駒の角行類が、外にむき出しでも、直射しない。ただし局面が進むと、
内側の飛車走り駒も、順次露出してきて、走り駒同士の斬り合いが激
しく起こり、西洋チェスのように、速いテンポでゲームは進行する

ので面白くなるという工夫をした、チェス型のゲームという事になる。
 これが西暦1080年~1100年位に、本当に晁補之作かどうか
は別として、中国の北宋国内で作成されていたものとすれば、

チェス型ゲームで、優秀な物を作成する能力は、中国がイスラム諸国
を凌いでトップレベルだった

とは、少なくとも言えるだろうと、私は考える。発明が早いかより、
ゲーム性の高いゲームの作成能力が、有るか無いかの方が、より大切
なのだが、将棋型ゲームの、この点に関する近代における誤解は、少
なくとも20世紀の間は、相当に深刻だったようだ。
 ともあれ本ブログの推定では、この象棋の情報が、日本の南北朝時
代までには、わが国にはもたらされていて、異制庭訓往来の、駒の数
の多い将棋の、表現の元になったと現行みている。異制庭訓往来では、

盤升目が囲碁であるから、一年の日数と表現しただけ

のように思えるが、上に述べたようなゲームだとして、駒の名前が
暦風になっていないとすれば、あまり

暦がイメージされるゲームに、なっていない

ようである。

異制庭訓往来の”多い将棋”の特定に関して、本ブログの解釈は、
ひょっとしたら、間違っていて

再考を要するのかもしれないと、岡野氏の著作を見て、私はやや不安
を感じるようになった。(2018/06/04)

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