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一乗谷朝倉氏遺跡将棋駒の歩兵・香車が細長く、縦4cmの別解釈(長さん)

前回述べたように、戦国時代の出土駒である、一乗谷朝倉氏遺跡将棋駒
では歩兵と香車の形が、現在の日本の将棋とかなり、形が違い、細長く
なっている。前回は、”最下段にある香車の、駒文字を縦長にする事に
より、初期配列で、玉将から香車までの、字の横並びの高さを、合わせ
る効果があるのではないか”と述べた。今回は、同じ論題にして、

別解を考えた

ので、以下述べたい。別解を先に回答として、書いてしまうことにする。

歩兵と香車が横に動けないのを、駒を長くしてルールまで表現したもの

と考える。
 今は、前回よりこちらの方が、やや優勢と考えている。では、以下に
経過を述べる。
 前回は、表題の一乗谷朝倉氏遺跡将棋駒だけを考えたが、当然の事な
がら、同じ戦国時代出土駒である、滋賀県の観音寺城下町遺跡の出土駒
や、歩兵や香車に縦長の駒がある、鎌倉時代末期の新安沖沈没船出土駒
(東福寺難破船出土駒)も良く調べてみた。

以上の3箇所の出土駒について、桂馬は全体として、銀将より縦横とも
小ぶりの傾向が有る

事が判った。最下段で少なくとも桂馬は、駒名の横のラインが揃わない
のである。更に、滋賀県の観音寺城下町遺跡の出土駒では、玉将の縦の
長さが、金将~桂馬よりも、更に大きくなっている。だから観音寺城下
町遺跡の出土駒では、最下段は玉将と桂馬の駒名が横に並ばない。

よって、香車が縦長なのは、少なくとも観音寺城下町遺跡の出土駒では
最下段の駒名の横ラインを揃えるために、そうしたのでは無さそう

であった。なお、観音寺城下町遺跡の出土駒では、一乗谷朝倉氏遺跡将
棋駒と異なり、歩兵が横幅が無いのは同じであるが、縦の長さが香車駒
より、短い傾向がある。歩兵は列が違うので、もともと、どのように変
えても、前回の議論には、影響が無いのにも、このとき私は気がついた。
 更に新安沖沈没船出土駒でも、桂馬が、金銀よりもやや小さいのは
観音寺城下町遺跡の出土駒や、一乗谷朝倉氏遺跡将棋駒と同じである。

また、香車が2種類あり、他の遺跡と同じような傾向の香車と、桂馬よ
り、縦横とも大きな香車が1枚出土

している。

鎌倉時代末期には、戦国時代や現代とは異なり、車駒としての香車の価
値が、朝鮮チャンギ等も知っている棋士に、多少強めに認識されていた、
可能性が強い

とみられる。
 これらの事から、歩兵と香車が、戦国時代の遺跡等で、縦長の物が出
るのは、

駒の動かし方のルールが、横に動けず、縦、正確には前だけである

事を、駒の形で表現したためとも、取れそうだ。ただし、桂馬の駒の大
きさには、ばらつきがあるし、香車と歩兵の縦の長さを、玉将と同じ
くらいにしているという特徴が、一乗谷朝倉氏遺跡の出土駒に、ある事
は確かなので、昨日の結論も、完全否定はできないかもしれない。
 何れにしてもその結果、成った状態で、成り金の

元駒が何なのかは、戦国時代の駒の方が、今のよりもむしろ形だけで
判断しやすかった

事は、確かなように思えた。香車の形が使い勝手から、今のように、単
なる小振り駒に変わったとき、成り金の元駒が、裏を見ただけで判るよ
うにするために、

崩し金の書体を変える事を、戦国時代末期から安土桃山時代の初めにか
けて、我々の祖先は改めて考え、その結果、現在の成り金書体に到達し
て、落ち着いた

のかもしれないとも、思うようになったのである。(2018/06/22)

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