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中国シャンチー。象駒の名称を全部、相にしなかったのは何故(長さん)

中国の近代のゲーム史家の間でも、中国シャンチーの象駒が相になっ
ていない原因について、古くから議論があるようである。岡野伸氏の
自費出版書、中国の諸象棋(改訂版2018年)にも、周家森が、
象棋源流考の中で、その点を指摘していると、紹介されている。
 そもそもゲームの駒の名称は基本的に、適切なものに、幾らでも変
更はできるはずなので、中国シャンチーの象が、現在では、相や箱と
いった名称で伝わっていても、特におかしくは無いはずである。古く
は、欧州のゲーム史研究家により、これがチェス・象棋系のゲームの
起源が、中国では無いと言う、証拠の一つともされた事があるらしい。
 そこで今回の論題は、上記の中国シャンチーに、象が存在する原因
としてみた。何時ものように、答えから先に書く。

大修館書店が2009年に発行した、原宗子著「環境から解く 古代
中国」を読む限り、唐・宋代の中原の知識人は、その時代に身の回り
に象は居なかったが、象とは何者かを、簡単な字典等で知っていたの
で、駒の名前として残った

と、本ブログでは考える。つまり、

中原の中国人も象を知っている。知らないので、象は駒に入らないは
ずだとするのは、誤った認識

と、ここでは考える。知らないのは、古代末~中世では、宮中以外の
日本人の方であったと、考えられるという見解である。すなわち、

基本的に中国は、象の居る国であり、時代が下ると、寒冷化等により
その生息域が減少しただけだと、考えたほうが良い

と私は思う。
 では、以下に補足説明を加える。
 恐らく、欧州のゲーム史研究家には、

縄文海進に代表される、第四期の間氷期の気象変動による、太古の温
暖期に関する知識が、近代もごく最近までは余り普及していなかった

のであろう。そのため温暖な時代には、象が中国の中原に生息してい
たために、中国殷(商)の甲骨文字の時代から、象という字が存在
し、中国人の識字層は、中国中原の住人であっても、唐~宋代に、必
然的に、象をイメージできるように、越南から等の情報に基づいて、
国語教育を受けたものと推定できると、ここでは従って推定する。
 確かに唐~宋期には、今よりやや寒冷でさえあったが、都市部の識
字層には、象が事実上、文字や絵で字書等によって知られている状態
であったと考える。そこで象という駒が、イスラム・シャトランジ等
によって、外国からもたらされると、象と書いた字駒が、当然のよう
に作りだせる状況にあったと、本ブログでは推定する。

象棋の象は、中国では、動物の象も引っ掛けてあったとしても、
定説とは異なり、余り問題が無いのではないのかと言うのが、
本ブログの独自の見解

である。つまり、象棋は、天象の棋経であると同時に、象等の駒を
動かす遊びという意味が、シャンチーの前身と、本ブログでは見る、
イスラムシャトランジに含まれていたために、部分的にせよ、入って
いたと見ていると言う事である。

すなわち、たいへん古い時代の話であったとしても、中国には、漢字
や、その前身の甲骨文字といった文字文化があったために、日本の
縄文時代に消えた生物の情報が、少なくとも、3000年位は、楽々
と保存された

と、その更に1000年後の我々は見た方が、実際には、的確なので
はないかと、疑われると言う事である。チェス系ゲームが、中国起源
かどうかは、従って象という字の内容から判断するのではなくて、中
国シャンチーの、ゲームとしての内容、すなわち下段がイスラムシャ
トランジに良く似ているという点を、よく考証してみるべきだと、
私は考えるのである。(2018/06/25)

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