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普通唱導集の将棋と大将棋の字。なぜ”将基”なのか(長さん)

実は、表題の件は私が、元著書にあたった訳ではない。又聞きした
情報である。情報元の文献は、本ブログでも何度も出てきた、
大阪商業大学アミューズメント産業研究所が2014年に発行した、
松岡信行氏著書の「解明:将棋伝来の『謎』」である。
通常、将棋を将基と書くと、誤字である。が、普通唱導集の小将棋
と、恐らく大将棋では、将基になっているらしい。同著書によると、
鎌倉時代の新猿楽記の写本である、「康永本(1344年)」と
言うのと、時代は全く違うが、同じく新猿楽記の室町時代の写本で
ある「古鈔本」、江戸時代(1697年)の将棋本である、
「合類古今将基図彙」の他計3点以外、”基”の字を使うタイプの、

誤字の例は他には無い

と言う。初耳だったが、興味深い話だと思ったので、今回は、その
誤字使用の理由を論題にしたい。
 結論から書くと、

新猿楽記の、諸芸リストの元になった百科辞典本が、普通唱導集の
時代には存在しており、その項目名の将棋が、恐らく将基になって
いたのだろう

と見られる。なお、web上の溝口和彦氏の、普通唱導集の小将棋、
大将棋の紹介書きでも、普通唱導集では、各々の将棋が将棊等では
なくて、将基になっている。
 では、根拠等につき、以下少し補足する。
 普通唱導集は、元々は仏教の普及の為の、唱導の教科書である。
が、諸芸の本質に言及して、この著書自体への購読数の増加効果を、
計ったものであろう。中身が読まれなければ、物体として、書物が
存在するだけであり、著作する事自体に、余り意味が無くなるのに、
普通唱導集の著者は、最初から気がついていたのである。
 そこで、百科辞典の各項目に従って、仏教の唱導と同じような調
子で、その内容を紹介するような、唱導唄を作って見せたと考えら
れる。よってその題目のリストは、別に有った筈である。すなわち
諸芸に関する、何らかの百科辞典が、西暦1300年には存在して、
それは、新猿楽記の”第N番目の君の諸芸”でも使われたリストで
あったのであろう。そのため、その鎌倉時代の諸芸百科辞典本の字
を参照した、

新猿楽記の康永本(1344年)と古鈔本の将棋と、普通唱導集の
将棋の字は、将基になっていて同じ

なのでは、恐らくあるまいか。
むろん、新猿楽記は、平安時代の著作であるから、その諸芸百科辞
典本も、元本は平安時代の物だろう。平安時代には、将棋は将碁や
将棊だったろうから、諸芸百科辞典も、

鎌倉時代に書写された普及本だけが、将基なのであろう

と考えられる。
 そこで更にその理由となると、それについては謎であり、

たまたまなのかもしれないが、浄土系仏教が普及する等して、
鎌倉仏教は、それまでよりも更に盛んになり、仏塔を1基2基と
数えるのにツラレて、兵も1騎、2騎ではなくて、生きているの
に1基、2基と、特に坊さんの間では、死んだ人間のために作る、
仏塔の類と同じように、兵隊の数が数えられるように、その時代、
少なくとも裏社会ではなってしまっていた

のかもしれない。「兵隊さんはしばしば戦死するので、坊さんの、
お得意さん」と言う、ブラックであろうか。
 そもそも普通唱導集の著作者は、僧侶に間違いないから、碁や
棋や棊の字を使うよりも、仏塔や墓を数えるときの漢字である
”基”の方が、馴染みが良いのだろう。字の使い方に、間違いない
と彼らが見れば、将棋も、迷わず将基に、してしまったのかもしれ
ないとも、考えられる。
 何れにしても、普通唱導集の小将棋と大将棋のコンテンツの
バイト数は小さいから、話の種が、直ぐに尽きるのかと思えば、
そうとも限らないようだ。松岡信行氏からは、また、良い話を聞
かせて頂いたと、私は深く感謝している。(2018/07/02)

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