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東京都文京区本郷元町の”太子成り酔象”。朝倉小将棋か中将棋か(長さん)

表題の旗本武家屋敷跡として知られる遺跡の出土駒を、以前このブログ
では、単純に中将棋の駒とみなした。しかし元々この出土駒は、単品一枚
しか出土していない。そこで、朝倉小将棋の酔象駒でない証拠を、一応示
す必要があったとみられる。
そこで、もしやと思い、水無瀬兼成駒の中将棋の成り太子酔象と、江戸時
代使用とされる、問題の出土駒を比較してみた。結論を先に書くと、

この酔象出土駒は、書体が水無瀬の中将棋駒の酔象のそれと、事実上同じ

である事が判った。つまり、

中将棋の駒であって、水無瀬兼成が作成した実績がないとみられる、
朝倉小将棋の駒では無い

らしい。
 以下に、結論に至る経過をざっと、説明する。
 天童の将棋駒と全国遺跡出土駒に、水無瀬宮に残る、水無瀬兼成作の中
将棋駒の表面だけは載っている。”酔象”という字については、比較は、
上記書を使用するのが早い。酔象の書体は、水無瀬駒と、東京文京区

本郷元町の出土駒と、同じ

だと、私には見える。少なくとも、出土駒の字を書いた人物の手元には、
水無瀬兼成筆の酔象書が存在しており、その字を習字としての手本にして
いる事は、間違いないように見える。
 次に、裏面の”太子”については、前にも紹介した事のある、増山雅人
氏著、将棋駒の世界、中央新書、2006年に、カラー写真で水無瀬駒の
”太子”の文字が載っている。それを見ると、”子”の字の第一画目に、
短い”ノ”のような”開始線”を入れるのが水無瀬中将棋駒の特徴で、

本郷元町の出土駒は、この点でも水無瀬の中将棋駒と全く同じ

である。以上の事から、ここで江戸時代に、朝倉小将棋を指すために、
我流で、この酔象駒を作成した可能性は、かなり低そうだ。将棋駒は将棋
駒でも、水無瀬兼成作級のの高級な中将棋駒が、出土したと考えるべきで
あろう。

このような高級品の中将棋の駒セットが元々、東京都立工芸高校校舎の地下に
は眠っていて、現時点ではたまたま控え目に見ても”書写された酔象”
だけが、発掘されている

ように、私には見えた。
 将棋史研究上だけでなく、コレクションとしてもかなりの宝が、東京の
学校の地下には、未だに眠っている可能性があるようである。(2018/08/03)

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df233285

この記事は大幅修正済み(2018/09/30,長さん)

この記事の、本郷元町遺跡と、東京大学敷地内の
江戸時代の加賀藩屋敷跡遺跡が、初期の記事では
混同されていました。そこで本文につき、大幅に
場所に関する記載を、入れ替えています。
by df233285 (2018-09-30 06:42) 

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