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石川県鹿島郡中島田上町カイダ遺跡の出土駒は将棋駒なのか(長さん)

前に、石川県金沢市堅田町出土の”桂馬駒”が桂馬ではなくて、”飛馬”
とスケッチされているという話をした。実は前田藩お膝元の石川県には、
もう一枚、種別の不明な駒が、西暦1990年頃に出土している。表題
の、室町時代から、安土桃山時代の住居跡とされる、鹿島郡中島田上町
カイダ遺跡の、恐らく不成りの”白食”と書かれているとされる、将棋
駒の可能性があると指摘の五角形の木片である。いうまでも無く、
白食という種類の将棋駒は存在しない。将棋駒という判定にクエスチョ
ンが付いているのは、そのためである。
 そこで今回は、金沢市の堅田城跡遺跡(堅田B遺跡)の不成り(?)
”飛馬”駒に続いてこの”不成り?白食”駒の正体について論題とする。
 回答を最初に書くと、

将棋駒であり、”おもて面判読不能だが、たぶん香車の、裏一文字金駒”

であると、本ブログでは、前記成書の写真から推定する。
 では以下に、以上の結論に至る経過を説明する。
 この駒は成書、天童の将棋駒と全国遺跡出土駒の写真を見る限り、墨
跡は極めて薄いので、ブログに転載しても無駄だと思う。だから以下に
は、文面で説明するだけに、ここでは留める。
 上記成書の情報によると、墨があるのは一面だけであるようであり、
墨のある面には、

”白食”の二文字に近い墨跡があるとされ、ただし白の字の”日”の部
分が、日ではなくて角張った”6”の形に欠けて見える

とされる。が、本ブログでは、

今述べた見方は、間違いだ

と考える。良く見ると、”白食”ではなくて”合食”に近く、合の字の
”一口”の部分が、一口ではなくて、角張った数字の”6”になって、
癒着していると、墨跡は見えると、本ブログでは、そう見るのである。
何れにしても墨跡は薄く、判定はすこぶる難しい。
 そして実は、2文字目とされる、食に見える部分は、

食の字の第2画目の八の字の右側だけ、墨跡として本物であり、この一
画を除いて、”ノ”や、”良”の部分は全部、汚れであって文字でない

と本ブログでは考える。つまりこの駒の字は、2文字ではなくて1文字
であり、

合と下線”_”を足した字で、合の”一口”を角張り”6”に変えた字

が、本当は書いてあるという事である。これは、

桂馬や香車の、成り程度に崩した”金”の字に、かなり近いもの

である。つまり、駒の形を見ても、この駒は歩兵か香車のようであるか
ら、金の崩しが弱ければ、

表の香車の字が消えてしまった、裏の成り金が見えている

と見ても、特に矛盾が無いように、本ブログでは見ると言うわけである。
 そこで何れにしても、すこし大きめに、金の崩し字が書いてあるのが、

墨跡が薄くなって、見えにくくなっているだけ

なのではないかという、最もつまらない解釈を、本ブログではとる。
 ただし、以上の結論は、絶対に間違いないというほどの、確信を持っ
て、書いたわけではない。科学的な測定をすると、覆る可能性は、少し
有ると見る。以上の事から、この駒については話だけで、本ブログでは
特に駒の姿は、掲載しないことにしたい。なおこの”上町カイダ駒”を、
掘り出したのは、石川県立埋蔵文化財センターで、西暦1990頃の事
だそうである。
 やや紛らわしいが、前に述べた金沢市堅田町の、堅田B遺跡出土の、
不成り(?)”飛馬”駒については、こちらの方は、市立の研究機関で
ある、金沢市埋蔵文化財センターという、今回の駒とは別の研究機関が、
西暦2002年頃に発掘したものと私は聞く。後者の駒だけ複写掲載の
許可をお願いしたので、金沢市堅田町の、堅田B遺跡出土の、”飛馬”
駒についてだけ、本ブログでは、スケッチ画を掲載している。
(2018/08/28)

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