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宝応将棋は駒数多数の将棋なのか(長さん)

大阪電気通信大学の高見友幸研究室の摩訶大将棋のブログで、
宝応将棋の話題を取り上げた事がある。”駒数多数将棋の類で
はないか”と、高見友幸氏は考えているとの事である。根拠は、
物語中に、駒の数が多数であるとの表現が、現われているとい
う点だけ、今の所公開されていると私は認識している。
 その問題の表現については探すのは簡単で、駒が四門から入
場する記載、つまり将棋のルール記載よりも、少し前の所に
出てくる。東洋文庫版では、

”つらなる旗さしものは何万と数えられ、(兵卒たちは、)
風や雲のごとくすみやかに、両側に分かれて陣を取る。”と
書かれている。

木村義徳氏の「持駒使用の謎」(日本将棋連盟2001)では、

”つらなる旗指物は万を似て数え、(兵士たちは、)
風のように馳せ、雲のように走る。やがて両軍とも陣を敷いた。”
と書かれている。

そこで、これらの表現から今回の論題は、ずばり高見友幸氏の
言うように、宝応将棋は駒数多数の将棋なのかとする。
 回答を最初に書く。

どうとも取れる

と本ブログでは考える。では以下に、以上の回答につき説明
する。
 本ブログで以上のように考えるのは、この史料が、

怪奇小説であって、将棋のルール本では無い

からである。なお、前記に引用した部分に関し、駒の動かし方
ルールを、軍師が述べているというのとは違い”それが将棋の
駒数に関するルールだった”等とは、物語中で特に言及されて
いる訳ではない。将棋駒が、まるでコンピュータに制御されて
いるかのように、自分で勝手に動く上に、

40人だったものが10万人に増え、また40人程度の将棋駒
に戻ったりするから怪奇小説

なのだろうとも、私には疑われる。ようするに、
高見友幸氏の玄怪録に関する解釈は、怪奇小説は小説なので、

高見氏の説は合否に関して、”正しい”または”間違い”と
いう表現に、”絶対”が付けられない彼独自の考え

だと、私は思う。
 ただし、この小説の中で、作者の(伝)牛僧儒がイメージし
ている”将棋(東洋文庫)、象棋(持駒使用の謎)”とは別に、

盤升目10×10駒総数40枚よりも少し小さな小説のモデル
となったゲーム(本ブログでは将棋)が、別に存在する

というのが、かなり尤もらしい点は明らかではないかと、少な
くとも本ブログでは考える。
 なぜなら、

歩卒駒が2列升目分あり、その他六甲のうちの5甲が4枚づつ、
10×10升目盤だとして、駒総数40枚になるという形式の
チェス・象棋・将棋類ゲームは世界中にあり、実はその類の
ゲームはほぼ全部、その形式の物だけが知られているから

である。なお、ゲームに左右非対称駒があり、また玉が通常は
一方一枚なので、実在するチェス・象棋・将棋類ゲームは、盤
升目が8~9程度で少し小さくなり、それに準じて駒総数も
40個ではなくて、36個とか32個になるケースが多いと、
私は認識もする。特に、”各一軍が2門に分かれて入場”して
いるので、王と軍師は一人づつであり、少なくとも本ブログの
見解では、この物語の発生した9世紀から見て、200年ほど
後存在の、4人制化した8×8升目32枚制の、軍師が近王型
の動きルールの、インド型の原始将棋を、私には明確に連想さ
せる。
 何れにしても玄怪録岑順物語に、モデルとしてのゲームが
実在するとすれば、今の所、世界の将棋種としては、今述べた
8~9×8~9升目32~36枚制将棋しか、物語を作る時点
で、実在するものが無かった可能性がかなり高いと、本ブログ
では見る。
 なお、今述べた6甲の内訳については、本ブログで既に述べ
ている。物語中に現われる駒名に準拠すると、

王、軍師、上将、天馬、輜車、歩卒

である。
 次に、そもそも玄怪録岑順物語の物語中に、全体として、
摩訶大将棋に近い関連ゲームが想定されるかどうかと言うと、

否だと私は考える。

まず今回論題にした部分の兵士の数の記載について、”旗が万~
数万”なのだから、兵士は10万人前後なのだろう。
40枚制の小将棋を考えるのでなくて、その数倍の192枚制
の摩訶大将棋を考えたところで、

これでは、焼け石に水だ。

ちなみに蛇足だが。この部分の訳文は、木村義徳氏の「持駒使
用の謎」の方が、判りやすく、東洋文庫版の兵卒は、中国語と
して、確か正しいはずだが、日本人には判りにくい表現だ。
兵卒が日本語では一兵卒と良く言われ、兵士ではなくて、歩兵
と、大して違わない述語に、混乱して使われているからである。
歩兵が10万個で、その他の駒が20個のゲームに、中国語で
はなくて、日本語では見えてしまうのだ。これではゲームとし
ては、非現実的なのは、確かだが。意味を取るとき、諸橋徹次
の大漢和辞典で、兵卒を引き直す手間が居るのは不便だ。また
”両側に分かれて陣を取る”は、両側に分かれるとは、考えに
くいので、東洋文庫の訳文は適切では無い。実際には、分かれ
て出てくるのは、偶数升目の盤に並ぶそれぞれの駒が、将棋盤
の左辺と右辺の駒で、別々の控え室に居るから4門なのであり、
初期配列に並ぶときには”合流する”に、近いはずだ。

その点でも、この部分の訳は、木村義徳氏の著書の方が勝る

と思う。
 さて摩訶大将棋との関連性に話を戻すが、

摩訶大将棋の駒種が50種類なのに、物語で6種類しか記載さ
れていないのも、読者に摩訶大将棋の事だと伝わらない原因

だと、私は思う。

駒の数が192枚であるだけでなく、駒の種類が50種類、
更に欲を言えば、仏教関連の駒種が多くないと、摩訶大将棋の
匂いは感じられない

のではないだろうか。
 特に以上述べた事から、宝応将棋が駒数多数将棋で無いと、
言い切るのは無理だが、

摩訶大将棋とは、関連性が余り感じられない

という表現が、適切では無いとは、どうしても私には思えない。
(伝)牛僧儒が、表現しようとしているゲームが、駒数多数の
将棋だったとしても、種族としては摩訶大将棋からは遠いと、
私は考える。(2018/09/03)

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