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興福寺(1058~1098年)出土駒。香車が1枚も無いのは何故(長さん)

以前表題の件については、”もう少し発掘が進んで、将棋駒の枚数
が2~3枚増えれば問題。”との旨を本ブログで、私が述べた記憶
がある。
 しかし、将棋具の1セットの中で飛車+角行は4枚だし、香車も
4枚である事には変わらない。だから、1枚も出土しないとすれば、

飛車・角行が無いなら、香車も無いのではないかと疑われるのが筋

だ。特に本ブログの場合、日本将棋の非存在を証明するとき、40
枚制が:検定されるが、香車の棄却検定では、32枚制の原始平安小
将棋(銀将・酔象各2枚)を検定するので、理論的存在枚数は、
香車の場合、飛車+角行の1.25倍になる。飛車・角行非存在検
定のとき、理論的平均存在枚数が2.9枚なら、
香車の場合は、3.6枚になり、確率1/8は稀少確率として、ポ
アソン過程で近似できるとすれば、出現確率3%(1/33)位だ。
つまり、今でも充分に、

香車が異常に少ないと、結論できる。

 だから、それでも興福寺で11世紀指された将棋に、香車が有っ
たと考えるのなら、

何らかの、出土しない理由を考える必要があるのは、実は当然

だったのだ。そこで今回は、飛車・角行非存在論の成功と対照的な、
この現代将棋史上の”日の当たらない、暗闇部分の謎”について、
原因を考えるという事を論題としよう。
 まずは、回答から書く。

公家世界で行われる、何らかの別のイベント用に、香車駒だけ
転用されて、同時に廃棄されることが少ないためではないか

と、本ブログでは考える。
 では以下に、以上の結論についての説明をする。
 まず、本当に香車が、11世紀の興福寺の将棋で使われなかった
という仮説は、次の点が説明困難である。

中尊寺境内金剛院遺跡の出土駒、および大宰府の習字木簡に香車
の記録がある。

実は、香車の出土しない領域は、玉将が出土しない関西の領域と、
やや似ている。

違いは、奈良県も含まれるかどうかだけであり、京都府および滋賀
県から出土例がないのが玉将といっしょ

なのである。ただし、滋賀県の坂本遺跡の駒は良く判らず、香車の
可能性も否定できない。しかし滋賀県では観音寺城下町遺跡駒の中
にも香車が無いため、興福寺駒を除いても、出土駒総枚数は、25
枚程度あり、香車駒が少ない傾向に、坂本遺跡を抜けば変化が無い。
 この事から、香車は京都の、恐らく公家が良く行う、何らかの
イベントに、転用されて消耗してしまうのが、出土駒が無い原因と
疑われる。つまりこの場合は、

興福寺を管轄していた、藤原氏の長者層も行う、何らかの行為に
関連するため、興福寺でも香車に関しては、出なくなっている

と、疑えると言う事である。香車欠乏現象が、近世から近代で、
かつ関東中心だったら、たとえば、

栃木県日光市の日光・滝の尾神社、香車堂への香車駒の安産祈願
での奉納

が疑われるが、地域も時代も合わないから、これは全然違うだろ
う。
 残念ながら、ここまでしか私には絞り込めないが、たとえば、

問香の遊びに転用する

とか、そのような貴族の遊びが、場合によって行われる、関西付近
の場所で、香車が燃やされて、無くなってしまうとか、そういう事
なのかもしれないと一応疑う。ちなみに、

福井県の一乗谷朝倉氏遺跡からは、香車駒が適量出土しており、
朝倉館には武家しか居なかったので、貴族の遊びをしなかったのが、
香車駒が欠乏しない原因

なのかもしれないとも思える。
 何れにしても、興福寺の出土駒の中に香車駒が無いのは、現時点
でも、問題である事だけは確かだと最近は見ている。(2018/09/29)

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