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チャンギの漢/楚と士駒が、同じ動きなのはなぜか(長さん)

交点置きが共通で、河の意匠が無いのを除けば、盤も良く似て
いるため、いっしょくたんに、ごちゃごちゃに論じられること
のある中国シャンチーと朝鮮チャンギであるが、イスラムシャ
トランジと比較すれば、前者の方が類似性が大きく、後者は少
し小さくなっている。なお中国シャンチーについても、帥/将
の動きが王型では無くなり、以下あくまで本ブログの見方だが、
北宋時代の、プロトシャンチーの士駒の偏牌の偏を、帥/将に
移した形になっている。かなり前に述べたが、帥/将のルール
の変化は、攻守のバランス調整の結果と、ここでは見ている。
 それに対して朝鮮チャンギの漢/楚駒と士駒は、九宮を同一
のルールで動くという点で、将駒同士のルールが類似している、
日本の将棋と類似と言えば、類似のパターンに変化していると
も言える。今回は、この朝鮮チャンギの士駒のルール変化が、
何によって、もたらされたのかを論題とする。
 いつものように、回答を先に書く。

日本の将棋の影響もあると、本ブログではずばり推定する。

では、以下に根拠等につき、説明を加える。
 根拠としては、朝鮮半島周辺に、このルールの変化を起こす
ような材料が、日本将棋の将駒以外に、特に見当たらないとい
う点が挙げられる。
 そもそも、少なくとも本ブログの見解では、この日本の将駒
の、古インド型の原始的な、王と副官(大臣)駒との動きのルー
ルが類似であるという性質は、インドにより近い、”田舎”よ
り、元となるゲーム、すなわち大理国平安小将棋が、伝来した
からこそ、起こった現象という事になっている。しかしながら、

中国雲南の大理国は、韓国からは遠い。

従って、中国から朝鮮半島へ伝来したシャンチーが変化して、
チャンギになってから、更に、中国の雲南省から、王に似た副
官のある将棋のルールが、朝鮮半島へも入って、朝鮮半島のチャ
ンギゲームに影響するとは、かなり考えにくい。
 それよりは、

古インド型のゲームに感染した日本のゲーマーの影響で、
韓国人も、古いインド型ルールを、後で導入してしまった

と考えた方が、よほど自然なように、私には思える。
 つまり日元貿易が盛んな頃に、日本将棋の玉将と金将が同じ
ような動きであるという習慣が、朝鮮半島のチャンギに影響し
て、それまでの、斜めにしか動けなかった、チャンギの士駒を、
漢/楚と同じ動きに変えてしまったのではないか。
 さらには、元々朝鮮半島には、駒の種類に関係なく、線に沿っ
て駒を動かす、十六ムサシ型の、将棋とは全く別のゲームがあ
って、それが流行っていた。そのため、日本の将棋とともに、
そのゲームの駒の動かし方パターンも、別系統のゲームである
朝鮮チャンギに取り入れられる傾向があり、日本の将棋のルー
ルと、十六ムサシ型ゲームの雪隠の所も、線に沿って移動させ
るルールが、チャンギに共に影響して、士駒のルールの変化に
なったのかもしれないと、考えられる。
 はっきり断定はできないが、中国シャンチーと違い、朝鮮チャ
ンギは、元々砲(包)駒を、やや弱くしている。だから士は強
くしない方が、かえって良かったはずである。にも係わらず、
朝鮮チャンギの方が、中国シャンチーより士駒がやや強いのは、
ゲーム性の改良というよりは、他のゲームの習慣に引っ張られ
て、多数派の方に、ルールが変えられてしまった結果のように、
私には思えてならない。
 大きいのは、朝鮮半島に元からあった、ボードゲームのルー
ルの習慣だったのだろうが、日本の将棋の玉/金駒のパターン
の影響も、その次ぐらいに、たぶん有ったのだろう。
 古くから、朝鮮半島と日本の間では交易が行われたため、文
化交流の結果、それぞれの国内のゲームのルールも、隣国から
の影響を受け続けたと見られる。そのため例えば、一旦桂馬駒
が別のルールに変わっても、朝鮮半島の馬駒のルールの影響で、
元に戻ったり、嗔猪のルールが、チャンギの卒駒と混同されて、
後退できなくなったりと、日本の将棋の方へも、朝鮮半島のゲー
ムのルールの影響が、当然有ったであろう。以上のように、私
は推定しているのである。(2018/11/04)

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