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ブログ”世界遊戯史博物館”に源師時長秋記袋物占関連記事在り(長さん)

 将棋の文献で新猿楽記に次いで古い、西暦1129年5月02日
(宣明暦)に書かれた、源師時長の長秋記の日記に現われる記事、
鳥羽上皇の、”12枚の将棋の駒を使った袋物占い”という内容は、
将棋史では著名だ。実はそのシーンを、そのまま撮影したような、
将棋駒として、中国シャンチーの駒名を書いた札を、黒い布袋につ
めて、目隠しして1枚取り出す、この場合占いではなくて、賭博の
記事が、web上に2年近く前に掲載した記事として、ブログ、
”世界遊戯史博物館”の、西暦2017年01月06日のページに
公開されている。
 ページ自体は、”世界遊戯博物館”と検索すれば、ブログ自体が
hitする。ので、最近は更新されておらず、3ページ目程度に、
この記事が出るのだが、比較的簡単に見つかるだろう。
 ブログの説明記事によると、ブログの写真は、テレビドラマから
の転載で、”シンガポールのTVドラマ「双天至尊(1993年)」
の、第一話に登場する”との事である。なお、双天・至尊というの
は、賭博ものという意味らしく、劇中に様々な賭博ゲームが、登場
すると、同ブログで紹介もされている。
 よって占いとは異なり、袋から駒を選択した後は、賭博ゲームに
なると言う事である。具体的には袋に、中国シャンチーの駒名とし
て兵卒駒を除いて、残りは、敵味方を1枚づつとして、親が象棋の
12種類、すなわち

「帥・将・仕・士・相・象・俥・車・人偏馬・馬・炮・砲」と書い
た札を、黒い袋の中に入れ、ついで袋の中に手を入れて、手探りで
一つ選び、

それを、小さなケースに入れて蓋をし、その札が何であるかを、
子が賭けるというのが、劇中の賭博シーンの内容らしい。
 なお、賭博なので、子は掛け金の倍率を選択する事ができる。大
きな倍率を賭けると、当たったときにその分、大金が帰ってくる。
ので、これは典型的な賭博である。なおこの形の賭博は、日本にも、
明治時代以降中国より入り、”手本引”と言われていると言う事で
ある。ただし日本の手本引は、中国シャンチーの駒は使わず、問題
の1993年のシンガポールのTVシーンが、中国のどこの文化を
題材にしたものかは、世界遊戯博物館のブログの管理人にも、良く
判らないとの事のようだ。

何れにしても中国には、シャンチーの駒に関する、覆物選択行為が
古くから何処かにあるのだろう。

 より正確な話は、そのブログを見ていただくことにして、覆物占
いでかつ、将棋の駒の12枚という、源師時長の長秋記の日記に
現われる記事に、このテレビ番組のシーンに現われる、道具のパター
ンが、完全に対応しているという事が、ここでは重要である。
 つまり、西暦1993年は西暦1129年よりは、だいぶん後代
だが、中国から伝来した、中国シャンチーの駒を12枚と、黒い袋
を使って、駒を選択する行為という点で、1129年の将棋駒覆物
占いは、

本ブログの見解のように、将棋の駒とは、中国シャンチーの駒の事

と考えると、ピタリと話が合っているという事である。なお、
web上の未確認情報だが、源師時が長秋記で描いた、鳥羽上皇の
袋物占については、博多経由でもたらされた、

中国からの占い方法に関する文献の、存在記録がある

という話もあると、本ブログでは以前紹介した。
 繰り返すが従来は、この将棋占いの

将棋駒は、日本の五角形駒との説が、学界では強かった。

しかし、中国からシンガポールに最近だろうが伝来した、中国シャ
ンチー駒12枚を使う、覆物賭博が今でも有るとなると、

やはり、本ブログのように、鳥羽上皇の覆物占いとは、中国シャン
チーの「帥・将・仕・士・相・象・俥・車・人偏馬・馬・炮・砲」
の12枚を使った、覆物占いである疑いが濃いのではないか

と、私には思えてくる。実は、中国シャンチー駒の出土初出は、こ
の鳥羽上皇の覆物占いの、たった23年程度前でしか無い。
 この日本の将棋史のカテゴリーと従来見られた鳥羽上皇の覆物占
いの記録は、ことによるとむしろ、中国シャンチーのゲーム史にとっ
て、重要な史料なのかもしれないと、少なくとも私には、前から疑
われているのである。(2018/11/10)

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