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大大将棋に酔象が無いのは何故か(長さん)

本ブログも、これまで駒数多数将棋の個別の駒種の謎を、多数取
り上げて来た。がしかし、たまに聞く表題の件につき、回答を与
えた事が、未だ無かったようだ。そこで今回は、大大将棋の特徴
の一つとして以前から著名な、近王に置き換わっていて、成り太
子酔象が、この将棋種に無い理由についてを論題とする。
 本ブログの回答を、いつものように最初に書き、説明をその後
で加える。

ずばり、大大将棋の作者は、摩訶大大将棋で酔象の成りが、太子
ではなくて、王子になっている理由を知っていたから

だと、本ブログではみる。つまり王子にした経緯を聞いた大大将
棋の作者は、

釈迦を意味する太子を、自ら作成した将棋ゲームに加える事に対
して、嫌気がさした為

だという事である。なお、摩訶大大将棋に習って、太子を王子に
変えると、摩訶大大将棋に関する、言い伝えの残っている時代の
ため、摩訶大大将棋の方が、大大将棋より古いのが、ばれるので、
それはできなかったと見られる。
 それでは以下に、以上の内容につき説明を加える。
 本ブログの見解では、大大将棋の作者は、書家であり、恐らく
寺院に関連のある人物である。また作成された時代は、水無瀬兼
成が、生まれた後だと、本ブログでは推定している。大大将棋を
水無瀬兼成自身が、新しいという事が判らないように、デザイナー
の了解のもと、一部手直ししていると、見ているのである。また、
大大将棋が、せいぜい戦国時代末期から安土桃山時代のものであ
る事は、水無瀬兼成作である泰将棋と、将駒の並びが似ている事
や、同じく、水無瀬兼成の将棋馬日記の、駒数多数将棋の大阪城
からの注文に関して、駒木地の枚数を集計する際に、摩訶大大将
棋と泰将棋の間に挟んで、大大将棋の駒の数を加えている等、
複数の証拠がある。
 なお泰将棋が水無瀬兼成作である事は”将棋纂図部類抄の行然
和尚まとめ部”の、水無瀬兼成自身による、成りを中将棋のパター
ンで、とどめたいがゆえの、大将棋の駒数の改変(記載された
将棋種の、実質的交換)から判る。
 従って、本ブログでは西暦1443年には存在したと見られる、

摩訶大大将棋より大大将棋の方が、新しい事は確か

だと考える。他方、大大将棋の作者は水無瀬兼成と繋がっている
し、また、そもそも将棋のゲームデザイナーなのであるから、
摩訶大大将棋だけ、

酔象の成りが太子ではなくて、王子になっている理由について、
かなり詳しく知っていたと見るのが自然

である。その理由であるが、本ブログでは、前に天文の錯乱とも
言われる西暦1532年頃の、浄土真宗系の一向宗の門徒による、
奈良県侵攻時に、それ以前は太子成りであった、摩訶大大将棋の
酔象を、十市氏や筒井氏といった、反一向一揆派の在来武闘勢力
を束ねるための政治的な意図から、

摩訶大大将棋の自在王を世自在王になぞらえて、玉将を浄土真宗
流の阿弥陀如来に仕立てた上、”仏教宗派闘争という、そもそも
教祖の望まない戦闘による、殺性を毛嫌いする釈迦が、将棋駒の
構成要素から抜けて、善財王子等に交代した”というルール変更
話を、実際にそれをして見せた上で、奈良県の在来勢力の親方格
が、その時代に作りあげた

のではないかという仮説を、述べた事がある。なお善財王子は、
善財童子が、近畿地方の熊野信仰と習合した物と、ここでは見る。
つまり奈良一向一揆、撲滅作戦時の戦意高揚に、奈良県では
摩訶大大将棋が、西暦1532年頃に政治利用され、そこから広
がったのが、太子から代わった摩訶大大将棋の王子だったという
事である。
 もちろん元になる話が、今述べた仮説に間違い無いと、特定す
ることは困難だろうが。この例に限らず元々、

殺生も原因となる死の苦しみが、出家の原因である釈迦が、
合戦行為を模した将棋に、駒種として加わる事の不自然さ

が、太子から王子への転換であろうと言う一般論自体が、尤もら
しいと思われるのは、充分に確かだと私は見ている。だから、
”そもそも将棋一般に、太子があること自体が、おかしいのでは
ないか”という議論が、何らかの経緯で、安土桃山時代頃までに
は発生したと考えるのが、自然なのだろうと考える。
 そして、大大将棋の作者もまた寺院の関係者なら、駒数多数将
棋に釈迦が入っているという事に対し、今述べた釈迦の性格が、
追随への疑念を感じさせる、原因になったのではないか。そのた
め、摩訶大大将棋の、酔象の成りの変更の、上記仮説例に限らず、
とにかくその経緯を知っていた大大将棋の作者は、以上の思考で

大大将棋には、酔象を入れる事自体を止めた

のではないかという結論自体に、不自然感が無いと私は考えるの
である。
 ただし、彼は象駒が将棋に有ってはならないとは考えなかった
のだろう。そのため、釈迦の伝説に関連の深い、酔象という駒は
構成要素から外したのだが、その代わりに、仏教上の聖人の名と
しても名高い香象や、イメージの良い白象は、大大将棋で新たに
追加したようだ。
 なお、水無瀬兼成の方は仏教徒ではあっても、寺院関係者では
無かったし、中将棋の流行を加勢して、自身も駒師として身を立
てたいと思っていたので、泰将棋では、酔象や太子を排除しなかっ
た(2枚にした)と私は見る。
 従って以上の事から、大大将棋に

成り太子酔象が無い事もまた、この将棋が摩訶大大将棋より後

の作である事を示唆している証拠の一つなのではないか。以上の
ように、今の所私は、考えているという事になるのである。
(2018/11/13)

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