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鳥羽離宮(59次)遺跡の裏墨跡金将。裏は一文字”成”か?(長さん)

前に、鎌倉時代末期のものとされる、京都市鳥羽離宮出土の
金将は、裏にも墨跡があり、飛車であるなら、中将棋の初出
かもしれないとの旨を、本ブログで述べた。その後、草書体
の常用漢字辞典をあたり、この裏側の墨跡について、微かに
特徴として残された、上部の△模様を頼りに、表題のように、

”成”の崩し字とも読める事が判った

ので、以下に報告する。
私が今回あたった辞書は、以下のものである。

亀田秋陽著。漢字・くずし字早わかり辞典(2013)。
メトロポリタンプレス発行

 上記辞書によると、△型の出る草書にしたときの漢字とし
て、他には土を中央含む字がある。一応、将棋駒に出てきそ
うな字で、可能性が高そうなのは、”成”のケースだけであ
るようだ。
 下の写真は、私がマジックインキで書いた、△部分が”成”
の草書の何処なのかを説明した、模式図である。

成草書.gif

 なお成書の一部で指摘されている、”飛”の崩し字でも、
三角が一番上に出て来るように出来る可能性も有るが、反時
計回りに45°位回転した、別の形になる可能性が高いと、
私は思う。
 それに対して成りの草書で△が有るのは、伐の字の作りの
部分が、∫のような形に、なるからのようである。なお以上の検
索時、△以外の部分で本物の墨跡は、介の字の第1画目に見
える部分程度と考えた。すなわち残りは、2文字目に見える
延のニョウに見える部分も含めて、墨が、木目の隙間に侵入
したためのニセモノと仮定した。
 ところで、今問題にしている、鎌倉時代末期の京都市出土
の金将駒の裏に”成”と書いてあった理由であるが、次のよ
うに、今の所は考えている。

すなわち、この将棋駒具では、玉将を除いて全部の駒の裏側
に、ひょっとして、これと同じ字体で”成”と書いてあった

のではないか。つまり、駒の形だけで区別する、飛車角の無
い、持ち駒ルール有りの時代の、平安小将棋用の駒だったの
だろう。
 本来何も書いてないのが正常な金将にまで”成”を書いた
のは、たまたま、それで良いと見て作った駒なのか、あるい
は、木地だけで、未使用の駒が同じ道具箱の中に入っていた
ので、実使用する物である事を強調するためかもしれない。
 従ってこの駒自体は、

鎌倉時代の末期に飛車成り金将が有ったという証拠としては、
それに当たる可能性の、比較的少ない駒

なのではないかと、私には思えるようになってきた。なお、
この駒の現物を、この2018年の12月9日まで、
京都府立山城郷土資料館の展示会にて、一般公開しているら
しい。(2018/11/14)

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