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滋賀県大津市坂本城より将棋駒が出土(長さん)

久々と言うよりは、本ブログが開設して、恐らく初とみられるが、
全国の遺跡の中から又、将棋駒が出土したとの情報が入った。
 場所は、滋賀県大津市下坂本3丁目の、確か琵琶湖に面した
坂本城で、明智光秀が築城。本能寺の変で城が焼け落ち、西暦
1582年に廃城になった所の、三の丸の調査で発掘されたもの
との事のようである。
 将棋駒は、気品の有る、江戸時代以降風(つまり、当時の最先
端)の、恐らく成一文字金の桂馬駒とみられる。

玉将/王将類に、滋賀県では玉将の出土例が無いため、特に注目

していたが、今回の出土駒は残念ながら、その類では無かったよ
うだ。
 なおこの城は落城当時、光秀配下の重臣と、明智光秀の嫡男の
明智光慶が守りに付いていた。明智光慶は、豊臣秀吉方に攻め
られた際の、城への味方の放火のおりに、軍記等では味方によっ
て処分処刑され、明智光秀の跡取りは、とにかくこのとき、事実
上廃絶したとされている。
 なお本ブログの管理人は、別の所で表明した事が有ったが、
本当に、明智光秀の嫡男の

明智光慶が西暦1582年の、このとき死亡したのかどうかは謎

との見方を、以前から独自の見解でしている。全く飛び離れた、
栃木県日光市に、前半生の経歴がほぼ不明な、日光東照宮ゆかり
の僧、南光坊天海が命名したと伝えられる、”明智平”という
地名が有る事等、良く噂される”天海は、元々誰なのかという
議論”関連というのが、その主な動機だ。
 そこで、今回のこの将棋駒の出土に関連し、東京都台東区上野
の寛永寺付近にある、その

上野の寛永寺の開基・開山者としても著名な僧侶、南光坊天海
上人ゆかりの寛永寺開山堂へ行き、”坂本城の将棋駒に関して、
天海上人の存在が、そもそもの出土理由とも疑われるため、念の
ための感謝表明”

の御参りを東京都台東区上野へ行き、個人的に行ってきた。

寛永寺開山堂.gif

 そのあと、寛永寺中堂にも御参りした。堂内で、観光客向けの
ビデオが流れており、ちょうど、

東京都台東区上野の不忍池(しのばずのいけ)は、南光坊天海が、
滋賀県の琵琶湖を模して作成した、人手の入った天然池である

という音声が、入った所であった。不忍池と天海と滋賀県琵琶湖
との関係について、気になる方がおられたら、調査するなり、
東京都台東区上野桜木の寛永寺に、確認するなりされると、よろ
しかろうと私は考える。
 なお昨今は、東照宮裏山で著名な、栃木県日光市”明智平”付
近、いろは坂の紅葉も、だいぶん深まる季節となったように、私
にも伝えられている。(2018/11/20)

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