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平安小将棋が中国中原文化所属であるなら、大将棋は発生するか(長さん)

さいきんwebの一部のブログで、”増川宏一氏執筆記事の新聞連載
が始まった。”との情報が流れている。具体的に新聞が何なのかが、
そのブログでは公開されていなかったため、しばらく私には謎だった。
 しかし、ようやく最近になって、日本共産党の機関紙の赤旗に、
2018年11月の頭から、金曜日だけ”将棋が歩んだ歴史”という
連載がある事を、そのホームページから知った。赤旗のホームページ
には、第1回目の同年11月2日の切り抜きの画像が、公開されてい
る。そこで、この連載を調査した所、大将棋関連では、表題に書いた
ように、日本の将棋の伝来経路に関連して、増川氏流の東南アジア説
を補強するため、

”もし将棋が中国から伝来したのなら、規範が厳しくてこんなに容易
に(平安小将棋、平安大将棋、後期大将棋と、)変更することはでき
なかったであろう”

との文言が、一言だけ第3回連載分(同年11月16日 10面)に
入っている事が、判明した。この証拠立ては、今の所、この赤旗の新
聞記事でしか、私は見かけた事が無い。
 そこで今回は、この論が正しく、平安大将棋や後期大将棋の存在が、
元になる平安小将棋が中国中原文化所属で無い事の、根拠に成り得る
のかどうかを、本ブログが主題としているという立場上、記載の当否
を問題にする事にしよう。
 最初に結論を書き、ついで根拠を後で述べる。

平安小将棋が、中国中原起源との仮りの事実が在り、日本で権威が有っ
た中国文化との間に強い関連が仮想的に有ったとしても、平安大将棋
は陰陽五行との関連、後期大将棋は、易学九星との関連で、それぞれ
先代の形態よりも優位と根拠づけられるので、後続の改良大将棋の発
生は必然だった

と、私は考える。
 では、以下に説明を加える。
 まず、小将棋から平安大将棋が出来るという点に関しての、仮想の
阻害要因との関係について議論する。
 仮に平安小将棋は、現在の中国シャンチーとは違うが、中国中原に
て、その原型が指されており、中国中原文化の一部としての、精神的
権威が、日本人の特に知識人層には、存在したものとする。
 しかしながら、この将棋には、

陰陽三行はあるが、陰陽五行に従って居無い。

つまり、平安小将棋には8升目であろうが9升目であろうが、将駒が
3種類しかない。だから仮に、平安時代の朝廷内で、中国中原文化の
権威を後ろ盾にしながら、平安小将棋の特定のタイプを、国の将棋と
するような制度を制定しようと”詔に近いもの”を、たとえば白河天
皇が発したとする。その時に、その詔の原案作成で、采配を仕切って
いる勢力が、対立する勢力にとって、仮に気に食わなく、かつ、玉将
を王将へ変更するといった、具体的内容に関して、対立二番手勢力が、
嫌気を持っている等の事情が、仮にあったとする。そうすると、

小将棋は陰陽道に合わないという点を攻撃点として、平安小将棋の標
準化等を阻止しようとして、実際には日本への軍事的脅威の及ばない、
北宋王朝との関係を見据えた上で、平安大将棋の、玉将、金将、銀将、
銅将、鉄将の五将形大将棋を容易に、対抗的に生み出し得る

と、私は考える。だから、増川氏の論のように、平安小将棋に、中国
中原の文化の一部であったとして、規範となる権威が日本の特に、上
流階級に、仮想的に有ったとしても、”平安小将棋から平安大将棋が、
改善されて、出てこない”という仮説は、成り立たないと考える。
 次に、平安大将棋から後期大将棋への改善に、中国中原で、日本型
の将棋が、仮想的に文化の一部であり、その思想に権威があったとし
て、阻害要因になるのかどうかを考察する。
 この場合も、改善の阻害要因にはならないと私は考える。
 なぜなら、平安大将棋には、13升目であるために、15と異なり、
3で割り切れないという性質があるからである。すなわちその将棋盤
は、中国の易学の九星占いのデザインに、作成しても合致しないとい
う関連文化上の瑕疵がある。それに対して、
15升目の後期大将棋は、聖目の位置が5升目ごとにすれば、九星占
いの図を模したものになるため、九曜のデザインとして、中国易学と
の親和性がより大きい。

だから、13升目の平安大将棋に対して、中国易学からは遠いという
点を攻撃材料にして、15升目に変化させる根拠があると考えられる。
従って、13升目から15升目の将棋への変更は、中国中原が日本の
将棋の源であっても、平安大将棋を絶対化、固定化するほどの、強い
要因になるはずが無い

と、私は考える。
 よって、平安大将棋から後期大将棋への変化も、日本の将棋が中国
中原起源では無いと言うほどの、根拠にはならないのではないかと、
私は考える。
 以上の論をまとめると、日本の特に小将棋の最下段配列、玉将、金
将、銀将、桂馬、香車に、元となる中国の古将棋が対応するという、
仮想仮説が正しいとする。そしてそのために、日本の原初将棋に、
中国中原印といういわばブランドがイメージとして付いており、その
規範感が、次代の将棋への進化を、遅らせるように作用したとする。
 しかしそうだとしても、同じく中国中原印が付いている陰陽五行説
や、易の九星占いの方が、よりその汎用性が、日本人にとってはずっ
と大きいだろう。そのため両者の力関係の差で、結局の所は、平安大
将棋や、後期大将棋の発生を遅らせる事には、ならないのではないか
と、ここでは見ると言う事である。
 以上で、今回の論題に関する説明は終わる。
 蛇足だが朝鮮チャンギは明らかに、中国中原文化起源とみられる。
が、ある時期、このゲームは朝鮮広将棋を生み出している。つまり、
日本よりも大将棋様のゲームが、増川氏のこの論で出にくい地域にも、
改善ゲームが、現実として現われている。だから、そもそも中国の古
ゲームに、増川氏の言う、厳しい規範性があり、関連各国では、それ
からの、ゲーム変化が少なかったったはずだと言う論理自体、事実か
らかなり遠いのではないのだろうかと考える。すなわち私は、この
11月16日の赤旗の記事を読んで、不可解感を正直感じているとい
う事である。(2018/11/27)

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