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今小路西鎌倉福祉センター出土木札。なぜ文字がひらがな書きか(長さん)

今小路西の鎌倉市福祉センターまたは、鎌倉市の”社会福祉センター”
の地面から出土した、南北朝時代のものとみられる、中将棋の変種
のバージョンを表記したように見える木札は、変体仮名まじりのひ
らがな書きだったとみられる。それと、左右に分かれた木札が、運
悪く、上下に接着されてしまったために、解読が遅れ、木簡自体の
存在が、広く社会に成書で公開されてから、30年も経った今、よ
うやく解読不能と考えない、本ブログの管理人が出現するに至った。
 ではそもそも、なぜ遊技場の、中将棋ゲームを仕切っていたとみ
られる、鎌倉時代の今小路の遊戯場の管理者は、

志ろいぬ。もうひょう。もうこ波、(近)くへ行が、上わゆけ無い。

等とは問題の木札には書かずに、

白犬。猛豹。盲虎波、(近)くへ行が、上わゆけ無い。

等と、後世の木簡研究者等が間違えないようには、書かなかったの
だろうか。以上を今回の論題とする。
 答えを先に書いて、後で説明を加える。

広い遊戯場(ゲームセンター)の部屋の隅からも、読めるように
ひらがなで書いたと見られる。

 では以下に、説明を加える。
 まず、この中将棋には、飛鹿、飛牛、奔猪、飛鷲、角鷹、白駒、
鯨鯢等の、現在の中将棋に有る大部分の成り駒は、まだ無かった
とみられる。しかしながら、それでも駒種類は玉将、金将、銀将、
銅将、鉄将、酔象、香車、麒麟、鳳凰、猛豹、反車、獅子、狛犬、
奔王、龍王、龍馬、飛車、角行、堅行、横行、歩兵、仲人、太子
と23種類程度有り、平安小将棋の6種類の4倍弱に達したと考え
られる。なお狛犬と鉄将は、後に中将棋からは消えた。だから元々、

漢字が読めないゲーマーには、ゲームができるとは考えにくい。

よって、”ひらがな”しか読めない人間のために、わざわざ仮名を
多くした”中将棋の、ゲームバージョン情報案内の看板”を、ゲー
ムセンターの管理人が立てたとは、このケースに関しては、とても
考えにくい。
 他方、当時の今小路西の遊戯場(ゲームセンター)は、今の施設
に比べて、かなり狭かったとは考えられる。が、裕福な武家の屋敷
を間借りするなどし、将棋や囲碁、盤双六、サイコロ賭博等が、盛
大に行われていたのではないか。従って、中将棋を指すコーナーは、
たたみ10畳ないし、それ以上のそれなりの広さの所で、何面かの
中将棋盤を置いて、行われていたのではないかと当然考えられる。
 恐らく、競技する中将棋の問題の、バージョン情報案内版として
の木札は、壁の少し高い所に、棚を作って置くなどしていたに違い
ない。その際、棚から遠い方の、中将棋盤のゲーマーからも、記載
内容が判るように、字画の少ないひらがなで、内容を書いたのでは
ないのだろうか。
 すなわち、漢字で書いてしまうと、特に猛豹が、猛豹だか猛牛だ
か、猛狼だか、少し離れて見ると、何だか判らなくなってしまった。
そこで、判読できないために、木札を置いただけ無駄だったという
結果を防ぐために、猛豹は”もう(ー)ひょ(や)う”と書いたのだろう。
 もしかすると、もう一つ理由があって、用意された中将棋の将棋
駒に、古いタイプのものが混じっていて、盲虎が、盲虎表記だけで
なく、猛虎の古い表記の遊戯駒があったのかもしれない。そこで、
盲虎と書かずに、”も(ま)うこ”と書いて、”用意した将棋駒が
盲虎の場合も猛虎の場合も、この遊戯場(ゲームセンター)では、
七方歩みの動きですよ”と表現し、間違いや、ゲーマー同士の喧嘩
が起きないように、しようとしたのかもしれない。
 公平に見れば、”ひらがな”なら字画が少ないので、遠くからも
目立つという、最初に述べた理由が最も確からしいとは思うのだが。
 現物がイメージ通りで、小型の木札だとしたら、以上の解釈で、
ほぼ間違いないのではないかと、私は思うのだがどうだろうか。
(2018/12/06)

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