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今小路西鎌倉福祉センター中将棋木札。何故バージョン特定可能(長さん)

今の所本ブログの見解によれば、表題の神奈川県鎌倉市出土
の鎌倉~南北朝時代の、木製遺物、今小路西鎌倉市福祉セン
ター出土木簡は、推定南北朝時代に、いわゆる後鳥羽上皇の
時代から在る、今小路のゲームセンターでプレーする、中将
棋のバージョン情報を記載したものと言う事になっている。
 しかし、中将棋のルールを知っている者なら、狛犬、猛豹
が有って、”もうこ”が盲虎の駒の動かし方ルールであって、
猛虎では無いという記載だけからでは、余りに指定項目が
少なすぎて、これで中将棋のバージョンが特定できるという
事自身に関する、疑問がわいて来るに違いない。これなら、
現行の中将棋が、

獅子が有って、居喰いができ、特別の規則があると言う事と、
猛豹が有って、もうこが盲虎であるから、前升目を除く、隣
接7方向歩みという、3つの事項だけから、駒数多数将棋の
中から、現行の中将棋が特定できる

と言うのに、等しいからである。
 そこで今回は、以上のべたように、3項目という少ない要
素で、南北朝時代の駒数多数将棋の棋士が、今小路西の将棋
場で指されている将棋種を、特定できると考えられる理由を、
論題とする。回答を先に書いて、後で説明を加える。

中将棋の前駆体が、13升目108枚制の本ブログの言う、
普通唱導集大将棋であるから、それと比較するとこれで済む

と、考えられる。つまり

中将棋は15升目130枚制の後期大将棋から生まれたもの
ではない

と、いう証拠になり得る史料ではないかと言う事である。
 では、以上の結論について、以下に説明を加える。
本ブログの普通唱導集大将棋は、繰り返すと、5段目という
の中将棋でも同じ自陣段数の、仲人の段から下を書くと、
5段目を退ければ、以下のトランプの七並べのパターンで
52枚、それに2枚の仲人を入れて、以下54枚の駒が並ぶ。

口口口口口口仲人口口口口口口口口口口仲人口口口口口口
歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵
飛車横行堅行角行龍馬龍王奔王龍王龍馬角行竪行横行飛車
反車飛龍嗔猪猛牛猛虎麒麟酔象鳳凰猛虎猛牛嗔猪飛龍反車
香車桂馬鉄将銅将銀将金将玉将金将銀将銅将鉄将桂馬香車

なお、玉将は、安土桃山時代に、双玉が水無瀬兼成等により
推薦されたと見られるが、鎌倉時代に親王将軍に転移した、
西暦1350年代から後は、しばらく王将と玉将一枚づつ
だったとみられる。
 既に述べたように、13升目が12升目になり、南北朝時
代に中将棋化が始まったとき、桂馬が消え、角行が下がった。
 そのとき、以下の平安大将棋の2段目を参照して、猛牛と
嗔猪も、二中歴の大将棋に無い駒と考えられて、取り除かれ
たと考えられる。

口口口口口口口口口口口口注人口口口口口口口口口口口口
歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵
奔車飛龍口口口口猛虎口口横行口口猛虎口口口口飛龍奔車
香車桂馬鉄将銅将銀将金将玉将金将銀将銅将鉄将桂馬香車

普通唱導集時代の大将棋の13升目が12升目になり、桂馬
が消え、角行が下がった図は、よって以下の通りである。

口口口口口口仲人口口口口口口口口仲人口口口口口口
歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵
飛車横行堅行龍馬龍王獅子奔王龍王龍馬竪行横行飛車
反車飛龍角行口口猛虎麒麟鳳凰猛虎口口角行飛龍反車
香車鉄将銅将銀将金将玉将酔象金将銀将銅将鉄将香車

なお、この時点で成りは、水無瀬兼成が安土桃山時代の、
将棋纂図部類抄で書いているように、麒麟、酔象、鳳凰が
それぞれ獅子、太子、奔王。それにもしかすると、歩兵が、
金将だったとみられる。

鎌倉市鶴岡八幡宮出土の、鳳凰や香車、歩兵で指せる形だ。

 実は、上記の配列を、飛車と角行の動きが、縦横と斜めで
対応している事から、竪行、横行、飛車を入れ替えて、猛虎
を盲虎に変えた

次の配列が、南北朝時代の、当時の将棋棋士には、
中将棋の標準形に見えたはず

口口口口口口仲人口口口口口口口口仲人口口口口口口
歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵
横行堅行飛車龍馬龍王獅子奔王龍王龍馬飛車竪行横行
反車飛龍角行口口盲虎麒麟鳳凰盲虎口口角行飛龍反車
香車鉄将銅将銀将金将玉将酔象金将銀将銅将鉄将香車

なのである。
なお、飛車の位置を入れ替えるのは、龍馬・角行筋が横行に
当たらないようにするためだったと見られる。つまり、獅子
や狛犬の有る中将棋では、駒の価値が、横行≧角行≧竪行で、
横行の価値が、守りの力が強いために、高いからである。
 以上は、

南北朝時代の中将棋の棋士には、ここまでは概ね、あるべき
姿としてのコンセンサスが、取れていた

と、考えられる。
 この形を頭に入れた上で、今小路西鎌倉福祉センター出土
中将棋木札の内容を考えると、そこでの中将棋のルールが、

1.獅子を狛犬に入れ替えること。
2.平安大将棋のように飛龍を使わず、猛豹にする事。
3.盲虎は、七方歩みである事を徹底する事。

以上の3点で、ゲームのパージョンが特定できることは、明
らかだと言う事である。
 逆に言うと、当時の中将棋棋士には、上記の形が標準形に
見えていたと言う事は、中将棋の元が130枚制の後期大将棋で
はなくて、本ブログの言う、平安大将棋により近いような、
13升目108枚制の、普通唱導集大将棋だったと言う事を
示していると考えられる。特に、後期大将棋と96枚制の、
古中将棋とで、2.で特定されるはずの猛豹は、どちらにも
有って、しかも位置が相似的な、2段目で似通っているため、
ゲーム・バージョンを特定するための、問題の木札に、”ま
うひゃう”の文字が出てくるはずは無いと考えられるのであ
る。そこで、少し前の、鎌倉時代後期の西暦1300年頃の
駒数多数将棋が、以下の15升目の後期大将棋ではなくて、

口口口口口口口口仲人口口口口口口口口口口仲人口口口口口口口口
歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵
飛車飛龍横行堅行角行龍馬龍王奔王龍王龍馬角行竪行横行飛龍飛車
口口猛牛口口嗔猪口口悪狼麒麟獅子鳳凰悪狼口口嗔猪口口猛牛口口
反車口口猫叉口口猛豹口口盲虎酔象盲虎口口猛豹口口猫叉口口反車
香車桂馬石将鉄将銅将銀将金将玉将金将銀将銅将鉄将石将桂馬香車

13升目108枚制の普通唱導集大将棋(本ブログ版)であ
るという事の、証拠という点で、

普通唱導集の大将棋の第2節で、仲人段が桂馬で支えられる
ように、5段目になければならない事

に加えて、事実上、新たな証拠が加わったという事になる。
だから、大将棋の歴史を考える上でも、極めて重大な結論が、
この新たに解読された木札の記載内容から、間接的に導かれ
ると、言う事になるのである。(2018/12/08)

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